■訳者あとがき
 本書は、Harold Brodkey, This Wild Darkness――The Story of My Death の全訳である。
 ブラドキーは日本ではまだなじみの薄い作家だが、欧米では非常に高い評価を受け、今世紀の重要な作家のひとりとして名を馳せている。本書中にもあるように、ブラドキーの作品はドイツ語、イタリア語に翻訳され好評を博し、そのため「ヨーロッパでの方が評価が高い」と少々ひねくれた感想を彼にもらさせるほどだが、それは本国での評価が安定していないことの証左ではない。たしかに、独自の文学世界を作りだしたブラドキーが、その独創性ゆえにさまざまな文学談議の的になったことは想像に難くない。しかし、文学批評の大家の名をほしいままにするハロルド・ブルームをして「フォークナー以降最も重要な作家」といわしめた彼の作品の質の高さは、どの作品にも歴然としている。
 本書は、小説家ブラドキーが、その解剖学的とさえいえる精密な観察眼と描写力を、自分自身を対象に駆使して書いた自伝である。そして表題にあるように、テーマは「わたし自身の死の物語」―エイズ患者となった自分の内面世界の克明な記録である。
 自伝ではあるが、この作品は病気を含めた現象面の記録というより、むしろ、エイズという死の病によって時々刻々変化する内面世界の正確な描写に終始している。
 The New York Times Book Review に掲載された、エヴァ・ホフマンによる本書の書評には次のようにある。
「自分自身の知覚の変化に忠実であり続けること……偽りの一貫性、過去を総括する衝動、といった誘惑を拒む姿勢」 
 つまり、いわゆる起承転結のあるストーリーではなく、いかに一見支離滅裂としていても、現実そのものを心理の動きを含めて正確に描き出す姿勢をこそめざしたのがブラドキーであり、それが、「アメリカのプルースト」と評されるようになったゆえんなのである。

 独自の文学世界を展開したブラドキーは、文章法の面からもやはり極めて独特で難解である。同じくThe New York Times Book Review で、ブラドキーの死後出版された短編集を評して、ジョナサン・ローゼンは次のように書いている。
「ブラドキーの文体は、すばらしく完成されている……ブラドキーは、意識のうちなる詩情を、口からでたことばの持つ音楽を、現代作家の虚栄を、創造力の不貞を、つきまとう過去のしつこさを……みごとにとらえている」
 短編集The World is the Home of Love and Death についての書評の一文だが、同じことが本書にもいえるだろう。
 本書は、エイズなど不治の病に冒された人の告白にわたしたちが期待しがちな、悲劇的な苦しみの表出が極めてわずかで、そういった意味でのドラマ性は希薄だといえるかもしれない。それはブラドキーの、人間として、作家としてのプライドなのだと思う。ドラマチックな展開、いわゆる盛り上がる部分を排除した文体は、読者におもねることなく、たとえ難解な思索を披露しているときでも一種透明とでもいうべき、落ち着きと客観性を備えているのだ。
 本書の翻訳が、そのブラドキー独特の文体の妙味を正確に表現しつくせているか、訳者としては不安があると正直に白状せざるを得ない。また、難解な文章の難解さを味わっていただくのではなく、編集部との合意の上で多少読みやすいよう工夫した部分があることをご了承いただきたい。

 ハロルド・ブラドキーは、1930年、米国中西部のユダヤ人家庭に生まれ、幼くして母を亡くし、経済状態のよくなかった父に、親戚に養子にだされた。1950年代に『ニューヨーカー』誌に一連の短編小説を連載し、一躍有名になる。この連載は1957年にFirst Love and Other Stories というタイトルで単行本化され(邦訳『初恋、その他の悲しみ』永遠のアメリカ文学5、東京書籍、1991)、1988年には2作目の短編集Abundant Lover が刊行された。寡作な作家であるが、八百ページを越える長編小説 The Runaway Soul が1991年に刊行され、賛否両論を呼んだ。また、1994年には2作目の長編小説 Profane Friendship も刊行。O・ヘンリー文学賞をはじめ、数々の文学賞を受賞。また、グッゲンハイム助成金を受ける。1996年1月没。本書は生前から『ニューヨーカー』誌に連載され、最終章は1995年晩秋に書かれた。


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