■目次

[序] 最後の義人

――人なつっこい動物の鈍重で騒々しい感情でしか、もはや認めてもらえない人間。この観念こそ、非道の歴史における二〇世紀の圧倒的な特徴なのだ

[第1章]誰が私の同胞なのか

――想像力は、それまでは、相違する人間のなかに多少の同一性を見いだしていたのに対し、いまや、どんなに厚い壁も突き抜け、人類を分かつ象徴的あるいは地理的な障害をことごとく乗り越える。

――「狙撃手」が自分の標的に痛みを感じ、待ち伏せする者が自分の獲物のために苦しむ。この抗しがたい同情心によって、直前まで律儀な軍人だった者が潜在的な殺人者へと変容する。

[第2章]普通名詞の威光

――反ユダヤ主義者は、卑怯者であると同時に人でなしであり、人種の観念によって、中身のない自分の人間性に本性という濃度を付け加え、「自分の地位は世界のなかに常に記されていたし、それが私を待っていた。そして自分には、伝統的にその地位を占める権利がある」と思いこんでいる。

――「ある意味で、隣人ほど荷の重いものはない。この好ましい存在は好ましくない存在そのものではなかろうか」。これこそ、最後の平安を手にするためのこの全面戦争――ヒトラーがもたらしたこの全面戦争を反面教師として、本来の倫理とは何かについて、われわれが学んだことだ。

――仮に今世紀から教訓を引き出そうとするなら、そして人間をその鎖から解放しようというもっとも徹底した意志が、なぜ、まったく容赦のない決定論に従属したかのような強制収容所の世界を作ってしまったのかを理解しようとするなら、これまでの道徳に依然とどまり、これまでのヒューマニズムに甘んじたままでいられるだろうか。

[第3章]意志の勝利

――二〇世紀は、人間についての近代的観念の二つの要素、人間の尊厳と歴史観の対立の舞台であったことを認めなければならないし、この闘いは人間の尊厳に対する歴史観の流血の勝利に終わったということを認めなければならない。

[第4章]「歴史」のアイロニー

――人間であるという点で皆同じであり、かつそれぞれが自分自身であるという点で皆異なる人間は、世界のなかで例外からなる共同体を形成している。逆に、強制収容所で試されたのは、個人を融合しひとつの凝縮した匿名の全体を作ることだった。

[第5章]人道主義の代償

――自分の手を汚すことも恐れまい。嫌悪感を乗り越えて糞尿のなかにも血のなかにも自らの手を浸そう。しかし、それは「歴史」によって踏みにじられた生を償うためであって、生を踏みにじることに加担するためではない。

――イデオロギーによって人間の多様性に終止符を打ったのは、「進歩する人間」であった。いたわりによって人間の多様性に終止符を打つのは、「種としての人間」であり、そしてそれを表象する人間たちの没個性的な苦しみである。

――少し前まで人はイデオロギーのゆえに、苦しみに騙されまいとしていた。そして今や苦しみゆえに、そして目前の世界のあらゆる不幸ゆえに、イデオロギーに騙されまいとしている。疑い深い人間の盲信はかくして続く。人間は霧のなかを進む。

[第6章]天使と人間

――土地や血によって人を限定することは非人間的であるが、その現実の生活基盤が奪い去られた不安定な生もそれに劣らず非人間的である。

――サイバースペースの飛行士となり、それを誇りに人間は、事物の物質的猥雑さを尻目に、非物質空間の際限のない快楽を楽しんでいる。人間はかつて地理的・歴史的存在であったが、いまや人間はまるで天使である。天使のように、地上で生きることの労苦を免れ、その存在のしかたにおいても天使のように遍在の才と無重力の才を与えられたのだ。

――観光は、単に現代の定住民たちが自分の自由時間を回遊によって費やすことではなく、それは、人類が向かっている状態であり、この状態は、総決算の時にあって、至上の価値に祭り上げられている。

[終 章]

インタビュー
――近代の闇が吹き出した二〇世紀――アラン・フィンケルクロート氏に聞く

訳者あとがき



戻る