プロローグ 闇のトゥバラーマ

 哀(あわ)りまま
 休(やす)まりむぬやらば
 苦(く)りしゃまま
 失(う)しらりむぬやらば

 ――あまりにも哀(かな)しいから、あの世に行って安住できるものならば……
 あまりにも苦しいから、この世から消えてしまえるものならば……

 宵闇(よいやみ)のなかを、泡盛(あわもり)の三合びんを手にした通事力(とおじつとむ)が、よたよたとおぼつかない足取りで家路をゆく。六十を過ぎたとはいえ、長年潮風できたえた声には張りがあり、その唄声(うたごえ)は静まり返った村のなかに朗々(ろうろう)と響く。

 春三月、頬(ほお)をなでる風はもう南に変わっていて心地よい。

 通事は、酒を呑(の)んでの帰り道、この『トゥバラーマ』をよく歌う。まだ夜も浅く、道々、家々には明かりが灯(とも)っているときもあれば、どの家も雨戸を閉ざし、寝静まっているときもある。そんな夜のとばりのなかで、年老いたひとかたまりの島びとたちは、唄にうたわれたつらく哀しい想(おも)いを胸に秘めながら、この夜も更けていった。

 いったい、なぜこうも哀しいのか、なぜこれほどに苦しいのか――。潮騒(しおさい)と風の音に運ばれて島中に流れるトゥバラーマに、通事は哀しく酔った。ゆったりとした美しい旋律と、ながい節(ふし)まわしが孤島の哀しみをひときわ際立たせ、通事は精いっぱい張りあげる自らの美声に哭(な)いた。

 うら頼(たぬ)ま
 南風(ぱいかじ)
 事(くとぅ)いつく
 ウイルケ
 主島(あるずすぃま)
 吹(ふ)き通(とお)し

 ――あなたに頼もう、南から吹く風よ。もしも、風に想いが託せるものならば……
 空を走る浮雲よ、主島(あるずすぃま)へ吹き通していっておくれ。私の想いを伝えておくれ……

 夜道を照らす一本の暗い街灯の所までくると、通事はこう歌った。やはり、八重山諸島に伝わる民謡『イヤリ節』の一節である。

 誰がこの島に関心を寄せてくれるのか。いったい、誰が自分たちの島を救ってくれるというのであろうか――。

 通事は嗚咽(おえつ)しながら歌った。

 いくら、島が、島の学校が存続の危機に見舞われているからといって、まだ年端(としは)もいかない幼い子を、しかも親元から引き離してまで、こんなに小さな島につれてきてよいものか、との思いに苛(さいな)まれながら……。

 だが、その日はもうそこまで来ていたのだった。



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