まえがき

 バンコクはマニラとほぼ同緯度だ。マニラ経由バンコク行きの飛行機は、そのまま西へ水平移動ということになる。マニラからバンコクへは南下するものとばかり、長いあいだ私は思っていた。時間地理の概念をあてはめると、とてつもなく大きな都市ということになる。なにしろちょっとした距離を移動するのにも二時間くらいかかる。言うまでもなく渋滞のせいだ。

 人それぞれの感じかたはもちろん違うだろうが、私にとってはアジアの諸都市のなかでは、バンコクが一番居心地がいい。同感だという人は多いはずである。本社から帰国命令がだされたが、タイに居たいがため会社をやめた日本人、本国で定年退職した人が、再びかつての勤務地だったバンコクに戻ってきて暮らし始める、そんな話をときおり見聞する。バンコクは、あるいはタイは、外国人には垣根の低い国である。日本は金を稼ぐ国であって住む国ではない、と日本に出稼ぎにくるアジア人によく言われるが、その点ではタイとは好対照である。

 バンコクは人間の体にたとえるなら、集中治療を要する重症患者に見立てられる。渋滞、騒音、排ガス、土ぼこり、雨降りの道路冠水など、およそ考えられる環境の悪さをおおかた身につけている、といった感さえある。とりわけ空気汚染は深刻だ。
 しかし、それを補って余りある魅力がこの街にはある。
 日本は、窮屈な国に窮屈な人が住んでいるという感じがしてならない。タイはゆったりとした国にゆったりとした人が住んでいるという感じがする。バンコクもせちがらくなってきたけれど、街はぎすぎすしていない。

 アジアの都市には、街と積極的に関わろうとする姿勢がないと、旅人をはじき飛ばしてしまうエネルギーが波打っている。とりわけ日本という温室のような国から来た旅行者は、アジアに対する免疫力が弱い人なら、都市に街に萎縮してしまう。そのような人には、ただうるさくて、ごみごみしている街としか映らない。バンコクも多分にその毒を秘めているが、ひとたびなれると、これほど居心地のいい街もない。




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