■パイヌカジ まえがきにかえて

 パイとは、南のこと。

 カジとは、風のこと。

 パイヌカジとは、あたたかな南の風のこと。沖縄の言葉です。

 南の風、パイヌカジ……なんとやわらかく、たおやかなひびきでしょうか。

 パイヌカジは沖縄の青い海の上を、わたります。すると海は、息をするように、ゆったりふくらみます。丸い波、丸い腹の中に、ひとつの生命を宿らせたのです。平和の芽です。

 ……それもつかの間、丸い腹は、きらめきながら、さんご礁にくだけて散ってしまいます。

 でもパイヌカジは、吹くことを、やめません。宿った生命が実る日は来る、いつかきっとくる……と吹きつづけるのです。

 私は、これまでずっと、このような思いを沖縄にいだき、パイヌカジが本土に向かって吹きよせる日を待っていました。でも一向に、そのような風は吹いては来ません。待ちつづけるうちに、この国、私の住む日本は、平和とは全く反対の方向へテンポを早めて進んでいきます。

 「日本はまた戦争をするのではないか……理屈じゃないんだ、肌が〈あぶない〉と教えてくれるのだ。」と、戦争をまともに体験した沖縄の人々はいいます。

 もしも戦争が始まったら、今度は私たちがまきこまれる番です。

 パイヌカジよ、早く吹け……なおも私は待ちつづけました……。


 日本の敗戦を目前にした、一九四五年四月一日のことでした。沖縄の中部にある読谷村(よみたんそん)の海から、アメリカ軍が初めて上陸しました。村の人たちが恐れていた日が、ついに来たのでした。このことは八十二名もの村の人たちが、集団で自決するというできごとを引き起こしました。

 なぜ集団自決という異常なことが、起こったのでしょうか……。この事実は、誰に知られることもなく、ひっそりと埋もれたまま、三十九年という長い年月が流れました。あることから集団自決の事実を知った私は、八十二名の肖像画を描きながら、同時に村の人たちと協同で、事実の正確な記録を残さなければならないと、考えました。戦争を知らない者たちが、戦争の記録を残そうというのです。

 集団自決から生きのびた人たち、遺族たちは、重い口を少しずつ開き、語り始めました。このことは同時に、記録をする者たちが、戦争を身近に知ることでもありました。それよりもっと重要なことは、今を生きる私たちが、明日へ向かって何をするべきなのかを、知ったことではないかと思います。

 平和の風パイヌカジは、待っていれば吹いてくる、というものではなかったのです。

 この原稿を書いている時、本書の舞台となった読谷村(よみたんそん)へベトナム戦争の時、「悪魔の部隊」といわれたアメリカ軍の特殊部隊グリーン・ベレーが進駐しました。北の北海道へは、ソビエトへ対抗するために、大量の戦車、砲などを配置する計画を、アメリカ軍は立てました。自衛隊は、シーレーン(海上輸送)防衛という名目で、軍事力を外へ向けようとしています。待っているうちに、このようなことが次つぎと起こり、私たちは、しだいに慣らされ、その危険を感じなくなってさえいるのです。待つという積み重ねの結果、一九四一年に太平洋戦争は起こりました。人々が気づいた時は、もう手遅れだったのでした。

 パイヌカジは待っているものではなく、一人ひとりが、吹かせるものだったのです。一人の風はそよ風でも、大勢で吹かせる風は力強く、明日へ向かって吹く、平和の風となるのです。


 これは戦争を知らない者たちが、戦争、特に集団自決という異常な体験をした人たちと、ともに考え行動しながら完成させた、明日への記録です。




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