■訳者あとがき

 読むたびに圧倒される──ひとことで言えば、私にとって本書はそういう作品だった。それも当然だろう。なにしろ、全米図書賞やアメリカ科学芸術アカデミーの特別賞を受賞するなど、すでに高い評価を得てきたロジャー・シャタックの著述活動の、いわば集大成にあたるのが、この『禁断の知識』なのだから。ソール・ベローやハロルド・ブルームらも、本書を絶賛している。

 翻訳の途中で私が送った質問状に、シャタック氏はじつに丁寧で的確な返事をくださったが、それに添えられた手紙によれば、本書は「世の中と文学に関する自分の知識と信念を集約した、究極の成果」だという。最初は、文学作品にまつわる部分のみしか念頭になかったが、やがて、科学やサドについての章も書かずにはいられなくなり、「けっきょく執筆に一一年を要し」、「何人もの編集者に出版を拒まれ」た末、ようやく刊行にこぎつけたのだそうだ。

 著者シャタックは、〈禁断の知識〉という概念に着目し、それを軸とする独創的な手法で、文学や科学など、広範な分野を考察し、人間社会の抱える問題を浮き彫りにする。すなわち、知識の探究・普及に一定の制限が課せらないと、災いを招きかねない、という危険性だ。知識が爆発的に増大し、その普及手段も、それを応用するテクノロジーも急速に発展し、しかも、倫理や慣習や宗教といった社会基盤が脆弱になり、欲望や感情を抑える力が弱まりつつある現代にあっては、この問題はいっそう深刻なものと言える。著者の警告が、私たちにとってどれだけ妥当なものであるかは、原子爆弾やヒトゲノム計画、ポルノグラフィーなどに関する記述を読んでも、昨今の身の周りの出来事を振り返っても明らかだろう。

 たしかに人間の知識欲に歯止めをかけることは難しい。だが、それが不可能ではないこと、過去においてそれが実践されてきたことを、著者は古今の事例や神話・伝説・文学作品を通じて教えてくれる。

 では、何がそのブレーキになりうるのか。ヒントは〈禁断の知識〉という言葉の中に潜んでいる。と言っても、ここで注目すべきなのは知識ではなく、「禁断の」のほうだ。知識そのものには、何を「禁断の」とすべきかを判断する力はない。禁断のという発想を生み、その抑止力を働かせるもの、それは叡智やモラル、そして適度の想像力だろう。この叡智やモラルや想像力こそが、私たちのよりどころなのだ。
 人間の持つ「知識への渇望」や、禁じられればやりたくなる〈バースの女房効果〉はいかんともしがたい。また既存の情報や知識、テクノロジーをいまさら捨てることはできない。だとすれば、いや、だからこそ、叡智やモラルや想像力がなければ、私たちの将来は危うい。宗教的なもの、政治的なもの、そのほかどのような形のものであれ、絶対的な権威が不在に等しい現代社会、懐疑主義やシニシズムがはびこる現代社会では、歴史に学び、この叡智やモラルや想像力を養い、維持することが、私たち一人ひとりの、とりわけ、知識を扱う者の義務となる。

 著者は身をもってそれを示してくれている。私が本書に圧倒されたことは初めに書いたが、その真の理由もここにある。著者の膨大な知識には、もちろん畏敬の念を抱くが、私が心底敬服し、感動したのは、その知識自体よりも、それを裏打ちする、著者の叡智とモラルと想像力であり、真摯な態度と人道性だった。それが全巻にわたって行間からひしひしと伝わってきて、心を動かされた。人道主義(あるいは、愛、と言ってもいいのかもしれないが)と良心をもって叡智と想像力を働かせ、知識を得て、それに意味を与え、活用する──私は著者に、学問を究める者の一つの理想像を見る気がする。〈禁断の知識〉という重いテーマを扱い、私たちの直面する由々しい状況を示す本書の読後感が、けっして暗いものではなかったのは、過去の物語や事例に勇気づけられたばかりか、そんな著者の姿を通して、人間の持つ可能性に希望が見えたからだ。
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 翻訳にあたっては、編集者と協議のうえ、構成に変更を加えたことをお断りしておく。まず、原書を二分し第1部(第1〜5章)を訳書第2部(下巻 第5〜9章)に、第2部(第6〜8章)を訳書第1部(上巻 第2〜4章)に、それぞれ回した。これは全体が大部であり、前述のようにもともと科学やサドを扱った第2部が文学を扱った第1部とは別個に構想され、実際に二部構成で刊行され、第1部、第2部がそれぞれ独立性を持っていたことが前提になっている。しかしそれ以上に、原書第1部が、もっぱら文学作品を取り上げ、専門性が高いのに対し、第2部では、科学を含めて、より広範で身近で今日的な問題が議論される点を考慮してのことだ。著者もその点は承知しており、まず原書第2部に興味を持つ読者、第2部から読みはじめる読者がいることを想定し、そのような読者には、後で第1部に戻ってもらえれば幸いだと、(訳書では割愛したが)原書の序に記している。

 第1部と第2部の入れ替えにともない、原書第二部についていた序は、原書巻頭の序と統合し、訳書第1部(上巻)の冒頭に配した。また、禁断の知識とは何かを理解する手がかりとなる、原書の附録をまとめて、本論に入る前の訳書第1部第1章とした。原書では附録として巻末に収録されていたベーコンの『スフィンクス』は、もっとも関連の深い訳書第1部第2章の後に移した。



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