◆ビーチホテルの一室で――プロローグ

 久しぶりに、本当に久しぶりにマレー鉄道に乗って、マレーシアを旅してみようと思った。一九九一年、僕の処女作である『マレー鉄道で朝食を』という本を書き上げて以来の旅になる(本書を発行するにあたり『マレー鉄道で朝食を(1) 国境のこっちと向こう』と改題し、内容を改訂した)。

 当時たどった道程を再訪したい、といったセンチメンタルな旅ではない。前回の本ではシンガポール、マレーシア、タイという当時陸路で国境越えができる東南アジア唯一の地域を取り上げた。しかし、ことマレーシアに関する限り、じっくり腰を据えて旅をしたという満足感がなかった。そんなマレーシアも旅する機会はこれから何度でもあると思っていた。その後六年、シンガポールへは毎年訪れているし、タイへも何度か出かけた。しかしマレーシアへは、シンガポールから日帰りや一泊二日の小旅行しかしていなかった。

 行けると思っていても行けない場所、それがマレーシアだった。しかしそうであればあるほど旅へのモチベーションは高くなる。マレーシアを旅する時間をつくろう、そして、以前、慌ただしく通り抜けた町や村はもちろんのこと、気になっているが足を向けることのなかった場所へも出かけてみようと思った。もちろん、少しばかり年齢を重ねた今、自分がそこで何を見ることができるのか興味が湧いてきたことも旅立つきっかけのひとつとなった。そのこと自体、やはりセンチメンタルなのかもしれないのだが……。

 あのころから変わらぬ持ち物は、愛機EOS620というキヤノンのカメラと二八〜七〇ミリのキヤノンのEFレンズ、そして貴重品袋くらいだろうか。縦長のパスポートは国際標準の小さなものに変わったし、バックパックも三ウェイ式のものに変わった。昔は持ち歩かなかったノートパソコンまで抱えた、もうバックパッカーと呼べないような少々荷物の多い旅人である。

 今、シンガポールのビーチロードとリャン・シア・ストリートの角に建つビーチホテルの五〇六号室にいる。安普請だが清潔な一泊六千円ほどのホテルだ。すぐ近くには、明治から大正初期にかけてからゆきさんたちが商売していた日本人街があった。今そこはブギス・ジャンクションと呼ばれ、西武系資本の入ったショッピングセンターとホテルが建っている。そこに日本人の「住」はないが、日本の「資本」がつぎ込まれているという点で、新日本人街といってもいいだろう。ブギス・ジャンクションから泊まっているホテルへと通じる路地の両側に建つ、古い、そしてに東南アジアのちょっとした街ならどこにでもある名物ショップハウスは、取り壊しや改築を行って、「シンガポール名物」パステルカラーの今風ショップハウスにとって代わろうとしている。処女作を書き上げてからあと、僕自身変わったが、それ以上にシンガポールの、東南アジアの変化は大きいような気がする。

 エアコンの効いた部屋で、熱いシャワーを浴び、髭を剃る。「BEACH HOTEL 506」と記された手の平大のアルミ製キーホルダーを持ち青緑色に塗られた扉を開ける。あとは荷物を持って外へ出るだけで、旅が始まる。ホテルの外は、もう三〇度近い気温とむせかえるような湿度になっているはずだ。

 一九九七年六月、僕はもうすぐ東南アジアを彷徨う熱帯の旅人の一人となる。



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