■まえがき


 中国の南の玄関口広州は、広東省を貫く珠江(じゅこう)の下流域にあって、長い歴史を誇る。古代の地方王朝、中近世の商業貿易センター、嶺南文化の中心地、アヘン戦争を契機とする西洋諸国とのかかわりの拠点など、歴史を通じて幾多の大きな役割を担ってきた。広州は現在も華南随一の大都市で、珠江デルタ地区一帯を含む広東語圏・広東文化圏の中心である。

 地元では西洋人の視点に合わせてか「東洋の真珠」と自らを称し、日本ではなぜか「一〇〇万ドルの夜景」の名で知られる香港。イギリスの植民地となって以来、中国とは異なる独自の道筋をたどってきたが、地勢や言語、文化などの点では広東語圏・広東文化圏の一部であり、多くの共通点を持つ。

 この二つの都市に珠江デルタ地区を加えた地域を、この本では便宜上「広東」と呼ぶことにしたい。広東には中国語で「粤」(えつ)という別名がある。広東語のことを粤語、広東の地方劇(カントン・オペラ)を粤劇と呼ぶのはこれに由来する。

 この一帯は亜熱帯だ。北緯二二度から二三度、台湾とほぼ同緯度だ。夏が長くて冬が短く、バナナやパパイヤなどさまざまな南国のくだものに恵まれている。香港は固い岩盤の土地だが、珠江デルタ地区は低湿地に大小の河川が縦横に走り、水田耕作、漁業、水運業などが発達した。さらに珠江を通じて外洋とアクセスできることから、明清期には海外貿易が発達し、今の広州を中心に商業センターが形成された。また、広東は華僑・華人の最大の輩出地でもある。中国人の海外への移住は一九世紀半ば以降に本格化し、世界各地に子孫が定住している。一説によれば、全世界の華僑・華人の数は三〇〇〇万人以上と言われるが、広東系の出自の人はそのうち実に二〇〇〇万人以上を占めるという。

 広東は、日本とも歴史的に深いかかわりを持っている。戦前からの交易関係もあったし、日本軍の侵略拠点ともされた。平和が戻り日本の経済成長が始まると、香港へは商用や観光の訪問も増えた。国交のない中華人民共和国に入国することが難しかったぶん、香港を「中国の代わり」とみなして中国情緒や中国料理を楽しんでいたのだ。中国が改革・開放政策を本格的に進めた一九八〇年代以降は、広東省に相次いで作られた経済特区を主な舞台に日本企業の進出が始まった。今では、香港に事務所を置き広東省を生産拠点と位置付けて、日本向けに多くの製品が供給されている。身の回りの愛用品が「メイド・イン・チャイナ」であることは今やごく当たり前だが、その中でも広東メイドのものは少なくないはずだ。

 広州と言えば、すぐに頭に浮かぶのが「食在広州」。中国は広くて地理や気候のみならず文化の多様性も大きいから、食の姿も地域により異なるが、広東の食は中国で最も多彩で豊富と言ってよい。広東の食文化の代表的なものに「飲茶」がある。今や日本にある中国料理店の多くがこれを売り物にするばかりか、スーパーのそうざい売り場にも飲茶の点心類がいろいろ並んでいる。その上、最近は上海や北京などに旅行しても「ガイドさんイチオシ」の「現地で人気の料理」として「飲茶」をさせられるほどだから、もう「飲茶」の起源なんてあまりわからなくなるほどだ。が、「ヤムチャ」という言葉は立派な広東語。それだけではなく、「シューマイ(焼売)」も「ワンタン(雲呑)」も「チャーシュー(叉焼)」も、その音は広東語起源なのである。

 広東語と言えば、ごく個人的な感覚だが、私の耳には広東語は大阪弁のように聞こえる。言葉そのものの特徴もさりながら、言葉を使う人たちのキャラクターやメンタリティにも、説明は難しいけれど、なんらかの共通点があるように思えてならない。というわけで、広東語の話者の言葉を書き記す際、つい大阪弁で表記してしまう私である。異論もおありでしょうが、ひとつご容赦下さい。

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 生まれて初めて外国に行ったのは一九八四年、大学四年のときだった。記念すべき最初の寄港地は香港。その日の深夜に船に乗り、翌朝、中国に初めて足を踏み入れた。記念すべき最初のまちは、広州だ。

 それ以来今に至るまでこのふたつの場所とかかわりを持ち続けることになろうとは、当時は予想もしなかった。ところが、就職した先では広州の隣のまちに滞在し、広州とも深く付き合うことになった。その仕事を離れると、主権が中国に返還される直前の香港へ留学し、気がつくとキャンティーン(学生食堂)暮らしで三年を過ごしていた。

 どこに住もうが、生きている限り毎日必ず繰り返す営みといえば、食べることである。生まれてこの方慣れ親しんだ食とはずいぶんと違う現地の食のありように、少なからず驚かされつつ、次第にそれに慣れた。とはいえ、食べることを目的として暮らしたわけではない。本場の広東料理を学ぶためでも、美食の道を極めるためでもない。仕事や勉強という別な理由でかの地に住み、日々を重ねるにつれ、食べることや食べ物に関する経験がいつのまにか蓄積されたのだ。

 この本は「粤のくに」の食について書いたものだが、料理そのもののレシピや製法には触れていない。食材や調味料についての知識や薀蓄も語っていない。必ず行くべき名店の情報も要チェックメニューの知識もない。特に、高価な材料や贅を尽くした料理といったものには、薬にしたくてもお目にかかれない。その代わり、「粤のくに」の人たちはどんなものを、どんなふうに食べているか、彼らはなぜそれを食べるのか、それは私にとってどんなふうにおいしかったか(あるいはその逆か)、そうした食べ物の周囲を取りまく社会や文化のありさまとはどんなふうで、それがかの地の食にどう影響を与え、逆に食からどんな影響を受けているか……そういった話に行きがちになるだろう。ふとしたはずみのような形でこの土地と不思議な縁を持ってしまった身として、私はそこの社会と文化のありように興味を覚えてやまないからだ。そしてもちろん、食べることと食べ物にも。

 伝統を守っているか変質しているか、地元ならではのものかよそから伝わったものか、それはあまり大切ではない。そんなものは区別できないからだ。社会と文化であれ、食べることと食べ物であれ、絶えず新しいものを取り込みながら変容し、そうしつつも地元のスタイルとして定着するプロセスを繰り返している。そんな面がある一方で、変わらないことに意義を見出し、伝統の継承にこだわる一面も、決して無視できない。社会と文化も、食べることと食べ物も、この両方の要素を併せ持った複合体だ。そのすべてをひっくるめて、この土地の社会と文化であり、食なのだ。

 住んで、食べる。そしてその土地の言葉を覚え、周囲を見渡し、その地域の一部分になろうとして、楽しんだりがっかりしたりする。大陸側の広東省と香港の両方でそんな機会に恵まれた。合わせて五年と少々、プラス何回もの短い訪問を通じて、実にさまざまな経験をした。

 妙な話もたくさんある。中でも、食にまつわることをいくつか振り返ってみた。八〇年代の昔話、九〇年代の話、そして二一世紀の見聞と、並べてみれば一五年以上にも及ぶ。経済や政治や人々の価値観が大きく動いた時代を経て、変わった「粤のくに」、変わらない「粤のくに」の両方が、そこにある。

 なお、さきに述べたように、この本では広州と香港の二都市に珠江デルタ地区を加えた地域を「広東」と呼ぶ。「広東人」とか「広東料理」、「広東の食文化」などという言い方がこれにあたる。ただし、マカオもこの範囲に含まれるものの、私の経験が少ないため、この本にマカオの話は登場しない。また、香港を含まない中国大陸側の広東のことは、便宜上「広東省」という語に統一した。だがそれは珠江デルタ地域一帯を指し、行政区分としての広東省全域を意味するものではない。


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