■はじめに

 初めてヴードゥー教(以下、ヴードゥー)の儀式を見たのは、一九八八年十一月である。首都ポルトープランスのスラム街の寺で行なわれた儀式だった。その当時、私はヴードゥーについて何も知らなかった。ヴードゥーと聞いて、大方の人は何かミステリアスでカルト的な宗教を想像するだろう。恥ずかしいが、私もヴードゥーについてそのような先入観を持っていた。だが、太鼓のリズムにのって楽しそうに歌い、踊る人々。彼らの生き生きとした姿は、私が密かに抱いていた暗いイメージを払拭させてしまった。とはいっても、ヴードゥーに特別な興味があったわけではなかった。宗教儀式ではあるが、日本人が祭りを楽しむように、ハイチの人々にとって大切な娯楽のようなものと感じた程度だった。

 一九九二年五月、私は軍事政権下のハイチを取材するために首都ポルトープランスを訪れた。一九九一年二月、ハイチ初の民主的大統領選挙で当選したジャン=ベルトラン・アリスティドが大統領に就任。人々は民主化と国家再建の希望に満ちあふれていた。しかし、同年九月、アリスティドの改革で利権を失うことを恐れた富裕層と軍のクーデターによってアリスティドは失脚した。

 軍の激しい民衆弾圧の嵐が吹き荒れていた。毎夜の銃声。翌朝、通りに死体が転がっている。同じ国民どうしがどうして憎しみ合うのだろうか。どうして残虐になれるのだろうか。私には理解できなかった。その頃、ヴードゥーの巡礼で有名なソードゥーの滝を訪れる機会があった。

 ソードゥーの滝は鬱蒼とした森に包まれていた。約三〇メートルの切り立った崖から轟音を響かせながら落ちていく水流。その壮大な眺めは、ポルトープランスの雑踏や弾圧を忘れさせてくれた。滝の岩場では、ハイチ各地から集まった大勢の巡礼者が滝の水で沐浴していた。その姿に感銘した。

 巡礼者の出身地や職業や身分は様々である。首都ポルトープランスのスラム街の住民、農民、軍人など千差万別だ。彼ら一人ひとりの普段の生活は違っていても、巡礼の目的は皆同じだ。ソードゥーの滝に打たれることによって日常の不浄を洗い清める。そして、精霊に御加護を祈り、明日への希望を得る。そこには、富める者と貧しき者、弾圧する側の者と弾圧される側の者の区別はなかった。皆がヴードゥーを信仰するハイチ人だった。私はこの時、ハイチ人の心の根底に共通して存在するもの、不正義・不条理が渦巻く社会にあっても主義・主張を超えて人々を結びつけることを可能にするものがヴードゥーの信仰や伝統ではないか、と考え始めた。以来、機会があるたびに、寺や聖地を訪ねるようになった。

 ハイチ人の祖先は西アフリカから奴隷として連れて来られた人々である。フランス領サンドマング(現ハイチ)に送られてきた奴隷たちは、植民者に隠れて密かにヴードゥーを信仰した。それは、遠き故郷アフリカヘの思いであり、奴隷としてつらい労働を生き抜くための大きな支えだった。

 一八〇四年、自由を求めて立ち上がった奴隷たちは屈強なナポレオン軍を破り、ハイチが誕生した。ヴードゥーは奴隷たちに勇気と団結を与えた。米国に続いて西半球二番目の独立国、そして黒人初の共和国。歴史の上に輝かしい金字塔が打ち建てられた。

 だが、独立後のハイチは、度重なる国際社会の介入や政変によって、「大海に浮かぶ小船」のように押し流されてきた。ハイチは現在、西半球の最貧国である。そんな状況にあっても、人々は溺れることなく、困難を生き抜いてきた。彼らに生きる指標を示し、根底で支えてきたものは一体何なんだろう、と探っていくと、その要因の一つはヴードゥーを信仰する力に違いないと考えるようになった。

 ハイチにおいて、ヴードゥーを信じるかどうかはもちろん、個人の自由である。「ハイチ人の九〇パーセントはカトリック教徒、一〇〇パーセントはヴードゥー教徒」――ハイチにはこんな諺がある。しかし、ヴードゥーを否定するハイチ人は多い。私の友人は迷信だと真っ向から否定する。彼は熱心なキリスト教徒だ。その一方で、子供の頃から自分でも気がつかないうちにヴードゥーについて学び、ゾンビ(蘇生した死人)を恐れている。

 日本では、私のような無宗教な人間でさえも、神社や寺に行けば自ずと手を合わせてしまう。それと同じように、ハイチのヴードゥーは人々の思考や行動に影響を及ぼす重要な要素を持つ民間信仰になっている。世界的に有名なハイチの音楽や絵画などの芸術は、ヴードゥーの影響を抜きに語ることはできない。ヴードゥーを否定することは、ハイチ人としての歴史やアイデンティティを自ら否定してしまうことになりかねない。

 ところで、日本では「ヴードゥー」という表記が一般的であるが、ハイチでは「ヴォドゥ」という表記に近い発音(クレオール語)である。文化人類学者や民俗学者のあいだでも現在、「ヴォドゥ」という表記の使用が一般的になってきている。しかし本書では、カタカナ日本語として一般的な「ヴードゥー」を用いた。なお、精霊名などのヴードゥーに関する用語は、なるべく現地の発音に近い表記を用いた。

 ヴードゥーにはキリスト教のような聖書やイスラム教のようなコーランに相当する聖典はない。信仰の仕方は、個人や寺や地域によって異なる。だから、ヴードゥーというのはこうだ、と一義的に定義するのはとても難しい。本書で説明するヴードゥーは、長年にわたる取材と関連文献から得られた知識である。

 本書の目的はヴードゥーの研究ではない。ヴードゥーを通して見たハイチ社会のあり様や人々の生き方である。そのため、用語などの細かい説明は必要最小限に止めた。また、ハイチの歴史や社会背景をより深く知りたい読者の方は、拙著『ハイチ 目覚めたカリブの黒人共和国』(凱風社、一九九九年)を読んでいただくことを勧める。

 本書が、ヴードゥーに対する偏見を取り払い、この民間信仰と共に生きるハイチ庶民の精神世界の一端に迫ることができれば幸いである。




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