沖縄現代史は、大きく二つの時期に分けられる。その前半はいうまでもなく、米軍支配下の二七年、後半は、沖縄が日本になって以降の時期である。沖縄社会は、わずか半世紀の間に、「アメリカ世(ユー)」と「ヤマトゥの世(ユー)」という二つの時代を体験している。そしてそれに先立つ戦場体験。このような歴史的体験は、沖縄社会のありように、ポジティヴなかたちにせよ、ネガティヴなかたちにせよ、さまざまな意味において、大きな影響を及ぼしている。さらに、沖縄戦や米軍支配といった特異な歴史的体験は、近代以前からの長い歴史的過程における特異性の延長線上にある。独自の国家琉球の形成、島津の琉球侵略による日本封建社会との特異な結びつき、近代国家日本の形成過程における琉球処分の特異性といった歴史的体験がそれである。制度的な面からだけみても、沖縄が、日本のほかの地方社会と同じ制度の下に置かれていたのは、長い歴史の流れの中で、大正末期から沖縄戦にいたる二五年間と、一九七二年五月十五日の沖縄返還(日本復帰)以降の短期間にすぎない。沖縄は日本であって日本ではないのである。
しかし、沖縄社会が完全に日本社会と均質化し、その中に溶解してしまったならば、沖縄社会独自の存在意義はどこに求められるのだろうか。日本であって日本でない沖縄の存在意義は、独自の歴史的体験をふまえて、つねに日本的通念に異なった視角から光を当て、その持つ意味をより的確に検証しうるというところに求められるべきではないのだろうか。そうした立場に立った強い自己主張こそ、沖縄にとっても日本にとっても、あるいはもう少し広い拡がりを持った世界にとっても必要なのではないか。それが、わたしのさまざまな社会的実践と、それを基礎にした発言の根底にあった問題意識ではなかったかと思う。
このシリーズは、沖縄返還後にわたしが書いた文章のうちのいくつかを、ほぼ発表順に編むことから始まった。これらの文章を書いた時期は、わたしが沖縄に移り住むことになった時期とほぼ重なる。それ以前、一九六〇年代初めから七〇年代初めの約一〇年間、わたしは、東京に住んで沖縄問題に関して、いいかえれば、沖縄の日本におけるあるべき位置づけ方に関して発言し続けてきた。米軍支配下の沖縄社会はわたしを受け入れてくれなかったからである。
そのわたしの沖縄に移り住むきっかけは、まさに日本復帰という「世替わり」の渦の中で抹殺されかけていたミニ大学の再建要員として招かれたことにあった。以来、大学経営から住民運動にいたるまで、さまざまな場での悪戦苦闘が続くのだが、その過程で書いてきた文章を時系列的に配置すれば、自ずと沖縄同時代史の一つの側面が浮かび上がってくるのではないか、というのが、凱風社の意向であった。このおすすめに従って刊行されたのがこのシリーズである。したがって、当初まとめて刊行した第一巻〜第四巻は、収録する文章を原則として発表時のままとし、取り上げた事柄のその後の推移等については、【注】や【補記】で補足説明を加えることにした。
しかし第五巻からは、読みやすさを考えて、収録した文章を主題別に編成するとともに、第四巻まで「付録」に収録した「事項解説」等を各該当箇所に掲載するなど、編集・構成上の方針を若干変更した。そしてさらに第六巻からは、単行本としてのまとまりを重視し、収録した文章にも大幅な加筆・訂正を行うことにした。
振り返ってみれば、わたしが沖縄戦後史に関する最初の著書『沖縄問題二十年』(岩波新書、中野好夫と共著)を書いたのは、沖縄が米軍支配下に置かれてからちょうど二〇年の一九六五年のことであった。しかし、日本復帰後二〇年が経過してもなお、復帰後の沖縄に関してトータルに整理する仕事はほとんどなされなかった。わたし自身についていえば、一九九五年秋以降の政治的激動のなかで、とりあえず『沖縄現代史』(岩波新書、一九九六年)をまとめているが、これで復帰後沖縄の歴史的過程を整理し切ったという自信はない。米軍支配下の沖縄の社会構造や問題の所在が比較的単純であったのに対し、復帰後沖縄のそれはきわめて複雑である。いずれ多方面から復帰後沖縄の歴史に光が当てられてその全体像が体系的に明らかにされるだろうが、そうした仕事と並行して、こうしたシリーズも、それぞれの時点で沖縄の現実に切り込むものとして、お役に立てるのではないかと思う。
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