この巻が対象とする一九九七年七月から九八年末までの一年半は、世界的な規模で、力の誇示・暴力化の傾向がいっそう強まった時期といえるかもしれない。インドやパキスタンの核実験も、頻発するテロも、そうした暴力化の拡がりとみることができる。だが、いうまでもなく、暴力化傾向の頂点に立ち、それを誘発しているのは、世界唯一の超大国アメリカである。軍事的な対抗勢力をもたなくなったアメリカは、自らの政治的経済的利益の追求や価値観の押し付けのために、安易に軍事力を行使する傾向をますます強めつつある。そして、軍事力行使の口実に、自由・人権・民主主義などの理念が使われる場合も、それは一皮むけば、政治的経済的利益の追求を覆い隠すかくれみのであることが多く、そうでなくとも、身勝手な思い上がりにすぎない。
九八年年頭の米英によるイラク攻撃の試みは、国連を舞台とする駆け引きによってかろうじてくいとめられたが、この年十二月、米英は、国連内部の反対意見を無視し、国連の活動を妨害するイラクを懲罰するためと称して、これを攻撃した。偽証疑惑による大統領弾劾訴追を回避しようとする政治的思惑も秘めながら。
また、ケニアやタンザニアの米大使館が爆破されると、その報復として、明確な証拠があるとしながら何の証拠を示すことなく、スーダンやアフガニスタンにミサイルを撃ち込んだ。それはやがてNATOのユーゴ空爆へと発展していく。
こうしたアメリカを中心とする理不尽な軍事行動を、いち早く支持したり、これに理解を示すのが、日本政府である。
「イラクが日本に原爆を落としたとでもいうのか」と激怒するイラク政府高官の発言はさておき、経済制裁下のイラク民衆に医薬品を届けるために湾岸戦争後一五回もイラクを訪れている伊藤政子さんは、自分自身がアラブの民衆から日本人としての責任を問われた、と証言している。
かつて、海外を旅行する日本人が、日本の豊かさ故に犯罪の対象となったことがあるが、いまや一人ひとりの日本人が、思いもかけない地域の民衆から、日本の戦争協力の責任を問われる時代がやってきたのかもしれない。いや、自らそうした時代を招き寄せようとしている。
日本の政治的リーダーたちは、もはや、日本国憲法が、戦争はもちろん、「武力による威嚇」すら禁止していることも、国会議員やその他の公務員が憲法を「尊重し擁護する義務」を負っていることも、念頭にはないらしい。それは、国益を口にしながら私益をむさぼる高級官僚たちの底しれぬ腐敗・汚職と、どこかでつながっているのかもしれない。
こうした現実のなかで、NATOのヨーロッパにおける役割を、東アジアにおいては日米安保同盟によって果たさせるべく、新ガイドラインが策定され、関連法が整備されようとしている。それを可能にする状況は、むき出しの強権によってではなく、テポドン騒動や不審船騒ぎを使った世論操作によってつくり出されている。
こうした状況に規定され、それと深く関連し合いながら、沖縄の米軍基地再編統合強化政策とこれに対する闘いがある。
これまでの沖縄の反基地闘争の一つの柱は、反戦地主を主軸とする米軍用地強制使用反対闘争であった。その法的よりどころは、さかのぼれば憲法に行きつくが、米軍用地特措法それ自体でもあった。
戦争を放棄した日本国憲法の下にある土地収用法は、軍用地を公共用地と認めていない。したがって、米軍に土地を提供するための特別の土地収用法としての米軍用地特措法が必要であった。しかし、収用法体系に整合性をもたせるため、米軍用地特措法による土地収用・強制使用の手続きは、土地収用法を準用することになっていた。
だが、九七年四月の特措法改定、さらに九九年三月国会に上程された「地方分権整備一括法案」による特措法改定は、米軍用地特措法の性格を、特別の土地収用法から有事立法へと大きく転換させようとしている。米軍用地は、他の公共用地と違って、総理大臣の権限のみで、新規接収も、強制使用も可能にしようというのである。そうなれば、日本国憲法下の米軍用地特措法は、米軍政下の布令・布告と同じ性格をもつことになる。
一方、政府は、振興策の大盤振舞いや、一見非政治的と見えるイベントの政治的利用をおりまぜながら、沖縄基地の再編統合強化政策を、県内移設という手段で実現させようと全力をあげている。
こうした攻勢のなかで、沖縄の反基地闘争は、既成の法や議会制民主主義をこえ、政治を民衆の手にとり戻すべく、住民投票という自己決定権行使の方法で、闘いの新たな地平を切り拓き、豊かさとは何かを問うことで振興策の内実に切り込もうとしている。さらに、この数年、軍事基地に反対し、平和を求める民衆の国境を越えた交流が、顔の見える関係を確立しつつある。とりわけ、沖縄と韓国の米軍基地に反対する運動が、日本各地の平和を求める人びとを巻き込みながら、着実に連携を深めつつある。わたしは、そこに、たとえ、わずかではあっても、東アジアにおける平和創造の希望を託したいと思う。
一九九九年五月
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