◆プロローグ 「国境の海」をめぐる物語

海上保安庁長官の視察

 二〇〇二年十月下旬、海上保安庁の深谷憲一長官が根室・納沙布岬を訪れた。国土交通省航空局長から八月一日付で、就任したばかり。もちろん納沙布岬を訪れたのは初めて。しかし、この訪問はマスコミにも事前に知らされることはなかった。深谷長官はじめ、同行した第一管区海上保安本部(本部・小樽)の杉原和民本部長、根室海上保安部の三村孝慈部長らも全員が目立たない背広姿だった。訪問の目的は「国境の海」の視察だった。

 海上保安庁の英文名称は「JAPAN COAST GUARD(日本沿岸警備隊)」。二〇〇一年十二月二十二日、九州南西海域で北朝鮮のものとみられる不審船が、海上保安部の巡視船に発砲、その後、自爆して沈没した事件は「沿岸警備隊」としての保安庁の存在をあらためてアピールした。

 不審船や中国の密漁船、密航目的の漁船が横行している南西海域と同様、納沙布岬から望む北方領土水域は、別の意味で一九四八年四月の海上保安庁発足以来、重点警戒海域だったし、いまもそうなのだ。

 ここは戦後、旧ソ連、それを継承したロシアが不法占拠した北方領土と接してきた海域であり、旧ソ連(ロシア)の警備艇による日本漁船の拿捕事件が絶えない「悲劇の海」だった。また、日本の自衛隊、公安、外事情報などを提供する見返りに、旧ソ連の主張領海で安全操業を保障されるレポ船が暗躍した舞台でもあり、二〇〇馬力の船外機を二〜四基装備し、高速でロシア警備艇の拿捕を逃れる特攻船が横行した海でもあった。いまでも日本やロシアの密漁船が横行する「密漁の海」でもある。見方を変えれば、戦後の長い冷戦期、西側陣営に入った日本が東側陣営の盟主・旧ソ連と対峙する最前線であり、ポスト冷戦期も領土問題が未解決なため、緊張が解けない水域なのだ。

 初めて納沙布岬を訪れた深谷長官は、幸運だった。この日、納沙布岬は秋晴れ。岬に立つと、澄んだ空気を通して、北方領土の島々が肉眼ではっきりと確認できた。

 左手の水平線上の島影が国後島だ。その半分ほどが、知床連山と重なって見える。左端のケラムイ崎から右手にかけて、国後島の泊山(標高五四三メートル)、羅臼山(標高八八八メートル)、平らな頂上の上におわんを伏せたようなユニークな姿の爺爺岳(標高一八二二メートル)が続く。さらに右手に目を移すと歯舞諸島が眼前に広がる。水晶島、勇留島、オドケ岩、萌茂尻島、秋勇留島。その右手はもう、納沙布岬灯台の陰になって見えない(二〜三頁・地図参照)。

 納沙布岬から水晶島まで七キロ。その水晶島にはロシア国境警備隊が常駐し、レーダーを備えた施設もある。一三・七キロ離れた秋勇留島にも警備隊が常駐し、この二島に国境警備隊のアントノフ型補給艦(五〇〇〇トン)が燃料や食料を補給していく姿を時折、見ることができる。

 納沙布岬に最も近い島は貝殻島だ。岬から三・七キロ。島といっても、ここは岩礁に過ぎず、貝殻島灯台が建っているだけだ。

 戦後六〇年近くが経過しようとしているが、日本とロシアの間には、平和条約が締結されておらず、国境線は画定していない。というより、国境線を画定できないから平和条約を締結できないのだ。その最大の障害が北方領土の帰属問題である。

 とはいえ、事実上の国境線は存在する。北海道と、ソ連が自国の領土と主張し、実効支配している北方領土との中間地点を結んだ線がそれだ。納沙布岬から見ると、貝殻島と納沙布岬との中間点、一・八五キロ地点が最も近い、事実上の国境線となる。日本の漁船がこれを超えると、ロシア国境警備隊の警備艇に国境侵犯の罪で拿捕されてしまう。海上保安庁の巡視船も、海難救助など緊急事態の場合は別だが、通常のパトロールではこの線を越えることはしない。でも、国境線ではないから、日本側は「国境」と呼ぶことはできない。日本側はそこで、この事実上の国境線を「中間ライン」と呼んでいる。

 この日、姿を現さなかったが、中間ラインの向こう側を警戒するのは、ロシア駆潜艇(主に爆雷で潜水艦を攻撃する小型快速艇)「スベトリヤーク」(約四五〇トン)や、小さなスチョン型の警備艇(約一〇〇トン)だ。流氷が流れ込む厳冬期になると、この二隻に代わって、砕氷能力のあるソールム型警備艇(一六〇〇トン)が警戒する。


「国境」を越える漁船

 深谷長官が北方領土を視察した十月をさかのぼること八カ月前の二〇〇二年二月二十日、根室海保は北方領土周辺水域で、タラ九・四トンを密漁したとして、道海面漁業調整規則違反(無許可操業)の疑いで、根室市内の船主・竹野敏行(仮名)、船長兼漁労長、機関長ら七人を逮捕した。

 根室海保の発表(二月二十一日)によると、竹野は一月三十一日、知事の許可を得ないで、共謀して、自ら所有する第18由勢丸(一一トン)を使い、色丹島周辺水域でタラ刺し網漁をした疑い。

 また、その約一カ月後の三月十七日、根室海保は同じく北方領土周辺水域でタラ約八・四トンを密漁したとして、道海面漁業調整規則違反(無許可操業)の疑いで、根室市内の船主で、漁業・山中恵三(仮名)ら八人を逮捕した。海保の発表では、山中らは共謀して、一月三十一日ごろ、道知事の許可を得ずに山中所有の第38由勢丸(一九トン)を使い、色丹島周辺水域でタラ刺し網漁をした疑いがあった。

 密漁の日付や場所を見ても分かるように、根室海保は第18由勢丸、第38由勢丸は共同で操業していた、とにらんでいた。

 この密漁事件が注目されたのは、密漁の現場が海保の監視の目が届かない北方領土水域だったことだ。通常であれば、密漁の事実は分からないし、確認もできない。「通常より一〇倍の水揚げをした船がいる」との通報を受けた海保が内偵し、レーダーの記録や燃料の消費量などから越境を確認した、と発表したが、いずれも状況証拠であり、容疑者が否認すれば公判維持は難しい。しかし、海保の手には「決め手」があった。ロシア国境警備隊が当該漁船がいつ、どの水域で操業をしていたかを記録し、日本側に通報していたのだった。

 前年の二〇〇一年七月、縄野克彦・海上保安庁長官(当時)のほか、ロシア、米国、カナダ、韓国の代表が参加してモスクワで開催された第二回北(西)太平洋地域海上警備機関長官級会合で、各国は密航、密輸など海上犯罪を防止するため、情報交換体制を強化することで一致。参加各国に活動調整センターを設置し、電話、ファクス、Eメールなどを使い、二四時間体制で情報交換を行うことを決めた。この体制は同年十月から本格稼働していた。「決め手」の情報は、このルートを通じて、ロシア側から提供されたものだった。

 越境操業の詳細が海保側に把握されてしまった以上、容疑を否認することは難しい。竹野は密漁の事実を認め、それによって、山中も否認できなくなった。二人は五月、相次いで執行猶予付きの有罪判決を受けた。

 根室地方の漁船は、いつも中間ラインを越えたい、という誘惑にとらわれる。共同漁業権のライン(一二九頁参照)はその一部が中間ラインを越えて、北方領土水域に掛かっているが、ほとんどは中間ラインの内側にある。しかも、中間ラインに沿ってその手前に「危険推定ライン」が引かれ、各漁船はこれを越えないように操業するよう道、漁協、海保など関係機関に指導されている。この「危険」とはロシア(旧ソ連)の警備艇に拿捕される危険を意味する。

 つまり、中間ラインを越えることは、日本の法律(道海面漁業調整規則)に違反し、しかも拿捕される可能性もあるのだ。それでも中間ラインを越えようと思うのは、ラインの向こう側に行けば、水揚げ増が期待できるからだ。根室側の前浜(陸から見て目の前に広がる海のこと。沿岸漁業の漁場を指す)での水揚げは年々やせ細っているが、ラインの向こうは国境警備隊に守られて、資源が保護されてきたからだ。

 水揚げアップか、拿捕の危険か――この二つをてんびんにかけた漁師たちは、ロシア警備艇のスキを見て、少しでも「向こう側」へ行き、水揚げ増を狙うことになる。もちろん、中間ラインを越えず、常にまじめに操業している船も少なくないが、漁船が中間ラインを越えること自体は、程度の差こそあれ、そう珍しいことではない。


国境警備隊もカネ次第

 ではなぜ、根室海保は竹野、山中の二人の逮捕に踏み切ったのか。第一に、山中がロシア国境警備隊とわたりをつけて、越境操業を黙認されている、と疑いを持っていたことだ。関係筋によると、逮捕前、山中の船は数回、色丹島周辺水域で操業を成功させていた。それを知った竹野は、自分の船を山中が乗った船に同行させた。竹野の船は少なくとも一回、北方領土水域で操業した。二隻は一回あたり五〇〇万円前後の水揚げがあったようだ。海保に「通常より一〇倍の水揚げをした船がいる」との通報があったが、これはロシア警備艇のスキを窺いながら実現できる水揚げ量ではない。第二に、ロシア国境警備隊と山中の仲介者として、根室市内の暴力団組長Kが動いた、という情報を把握していたからだ。警察庁が指定した暴力団のひとつ、稲川会だ。Kはその稲川会系加藤一家三代目Y=根室市在住=の大幹部で、北方領土水域で漁獲され、根室に輸入されるカニやウニなどロシア産水産物の七割ほどを仕切る、正規の輸入業者としての顔も持っている。

 海保の狙いはKだった。しかし、山中の口は堅かった。結局、海保の捜査はKまで行き着くことができなかった。

 かつて横行したレポ船は、北方領土水域での操業の見返りに情報を与えたが、いまはカネだ。ところが、わたりをつけていたはずの国境警備隊は二〇〇二年二月三日、突然、山中の乗った第38由勢丸を拿捕し、択捉島へ連行してしまう。これは、Kにとっても驚きだったようだ。拿捕を知ったKは、根室に寄港していたロシアの運搬船に乗り込み、択捉へ向かった。そして、ロシアの国境警備隊と山中の釈放を求め、直談判する。山中らは一カ月後に解放され、三月七日、根室・花咲港へ戻る。根室海保が山中らを逮捕したのは、その一〇日後(三月十七日)だった。Kがどんな手段で、山中らの釈放を実現したのか分からない。しかし、Kがロシア国境警備隊と大きなパイプを持っていることは間違いない。

 それにしても、国境警備隊は山中の操業を容認しながら、なぜ、その詳細な操業状況を記録し、日本側に通報したのだろうか。考えられるのは国境警備隊が一枚岩ではなく、日本側と通じてわいろの見返りに操業を容認するグループと、それに反発するグループがあることだ。反発するグループが、国境警備隊の「正常化」を願っているのか、「おれたちにも分け前をよこせ」と思っているのか分からない。


横行するロシア漁船の密漁

 国境警備隊は日本側とだけ、通じているわけではない。むしろ、「水産マフィア」と呼ばれるロシア側の漁業者との関係が深い。

 深谷長官がもし、前日に納沙布岬を訪れていれば、水晶島のモシリケシ湾に一隻のロシア漁船がいるのを見ることができたはずだ。彼らが捕っているのは、北海道へ輸入されるウニだ。ロシア国家漁業委員会がこの水域で許可した二〇〇二年のウニの漁獲割当量は、一〇六〇トンに過ぎない。しかし、五月十七日の時点で根室・花咲、釧路の両港に輸入されたウニは一九〇〇トンに達していた。ロシア側の公式統計による漁獲量は八五トン(二〇〇二年五月十三日現在)。その後も輸入ペースは落ちていない。深谷長官が視察した前日、姿を見せたロシア船は密漁船だった。

 操業するロシア漁船が、納沙布岬から見られるようになったのは一九九七、八年ころからだった。当初は何を捕っているか分からなかったが、九九年になると、漁船は小船を引いて現れるようになる。小船に乗っているのは、潜水スーツにアクアランングをつけた二、三人の男たちだ。彼らはお目当てのポイントに到着すると、次々に海に入り、ウニを集めて小船に引き揚げる。

 この水域に現れるロシア漁船は、同時に一〇隻を越えることもある。二〇〇二年五月十八日には一三隻が確認された。ロシアの警備艇が姿を見せても、彼らは逃げることはしない。警備艇の動きは奇妙だ。密漁船のうちの一隻に接舷するだけで、しばらくすると、そのまま何事もなかったかのように姿を消してしまう。「水産マフィア」と話がついているようだ。

 潜水士によるウニの密漁は、季節を問わない。二〇〇一年十二月二十二日午後二時三十五分ごろ、納沙布岬に近い根室市珸瑤瑁沖で、付近をパトロールしていた根室海保の巡視艇「きたぐも」(一五七トン)は、ロシア船が海に人が落ちたことを示す赤と黄の国際信号旗を掲げているのを、たまたま発見した。ロシア船はネマーン号(五九七トン、三〇人乗り組み)といい、無線で事情を聴いたところ、貝殻島の西約一・八キロのロシア主張領海内で、ウニ漁をしていた潜水士ワシリー・キタイゴーラツキーさん(四五)=サハリン州コルサコフ在住=が、同日午前九時前を最後に姿が見えなくなった、という。「きたぐも」と、同じく応援の根室海保の巡視船「かむい」(一九六トン)が付近を捜索したが、夜になっても発見できなかった。当時、水温は四度。厳寒の海だ。漂流していても、生き残るための条件はかなり厳しい。

 ところが、行方不明になって約一七時後の二十三日午前一時半ごろ、キタイゴーラツキーさんは当初の潜水ポイントから一六キロ離れた根室半島の太平洋岸の根室市友知の海岸に漂着、近くの民家に助けを求め、通報を受けた根室署に無事、保護された。浮力がついて、保温性の高いドライスーツを着ていたとはいえ、「厳寒の海での生還は奇跡的」(根室海保)だった。キタイゴーラツキーさんは巡視船「かむい」によって、同日午後三時半ごろ、国後島泊湾にいたロシア船へおくり届けられた。

 潜水士の漂流事故はこれが初めてではない。この前年の二〇〇〇年の冬にも、納沙布岬沖からオホーツク海側に流されたロシア人潜水士が、通りかかった日本漁船に救助されている。


売れる密漁のドライスーツ

 「奇跡の生還事件」から二カ月余りが過ぎ、年が明けた二〇〇二年二月ごろ、根室・歯舞地区に住むお年寄りは早朝、ドライスーツを着たロシア人を自宅の窓から見かけた。その男は雪の舞う中を、納沙布岬と根室市街を結ぶ道道を根室方面へ向かってとぼとぼと歩いていた。早朝に、しかも黒いドライスーツ姿。異様な光景だが、こうした光景が見られるようになったのは、この日が初めてではない。

「また、ロシア人が歯舞のウニを捕ってるな」

 お年寄りは、いまいましそうにつぶやいた。

 男は漂流者ではない。歯舞の前浜からウニをこっそり採取していた密漁者だった。関係筋によると、密漁の手口は次の通りだ。ロシア人密漁者は、北方領土から根室にウニを運んでくる運搬船に乗って、歯舞沖のポンコタン島付近まで来ると、夜陰に乗じて海に潜る。運搬船は、密漁の潜水士を海中に残したまま、目的地の根室・花咲港に向かう。潜水士は海底のウニをかき集め、袋に詰めて、ポンコタン島から沖に張っているロープに結びつける。朝になると、歯舞の浜に上がり、携帯電話で花咲港にいる船に連絡し、日本人の協力者が車で向かえにやってくる。運搬船は北方領土へ戻る途中、ポンコタン島の沖で海中のウニ袋を引き揚げ、島へ持ち帰る。このウニは次回、ロシア産として、根室へ運ばれることになる。

 歯舞のお年寄りが「異様な光景」を目撃した前月の一月二十一日午後十時すぎ、根室市珸瑤瑁の海岸沿いの民家に、ロシア人一五人が現れ、救助を求めた。彼らは歯舞沖を航行中に遭難した「サンジ号」(一九・九トン)の乗組員。救命ボートで脱出したが、なぜか、全員がドライスーツ姿だった。

 貝殻島周辺でも、歯舞沖でも、潜水による密漁は大きな危険が伴う。それでも、密漁が止められないのは、危険以上にうまみがあるからにほかならない。運搬船は四〜五隻のウニ漁船の水揚げを取りまとめ、一回当たり五トンから二〇トンを運ぶ。金額で二五〇〜一〇〇〇万円。一カ月平均では一漁船一〇〇〇万円の水揚げ金額になる。密漁が盛んになると、それに付随する新しい商売も生まれてくる。この数年の間に根室・花咲港と、根室市街の二つの商店に相次いで、ドライスーツが陳列されるようになった。根室は沖縄や伊豆とは違い、人気のダイビングスポットがあるわけではない。ドライスーツが必要なのは、ウニを捕るロシア人潜水士だけだ。


多彩な登場人物たち

 深谷長官は岬から国後、歯舞の島々を見終えると、北方領土の定番視察コースともいえる北方館に入った。北方館は一九八〇年八月に開館した領土返還運動の拠点施設だ。二階に上がると、海に向いた広いガラス越しに、島々のパノラマが広がる。展示品は北方領土の北側に日露の国境を定めた日露通好条約(下田条約。一八五五年)の写しや、千島・樺太交換条約(一八七五年)の写しなど。北方館の二階は、戦前の島民たちの暮らしぶりなどを紹介した「望郷の家」(一九七二年四月開設)につながる。その境に、北方領土を視察した政府要人の一二枚の写真パネルが飾ってある。

 パネルの左上は一九八一年、「北方領土の日」(二月七日)を制定し、首相として初めて納沙布岬を訪れた鈴木善幸首相、その右には二〇〇一年三月、プーチン・ロシア大統領と会談し、イルクーツク声明をまとめた森喜朗首相、その右下は二〇〇二年八月、いわゆるムネオスキャンダルにからんで、不満を爆発させていた元島民たちと直接対話のために根室を訪れた川口順子外相、その下には、エリツィン・ロシア大統領と「ボリス・リュウ」の関係を築き、歴史的なクラスノヤルスク(ロシア共和国中部の都市)、川奈(静岡県伊東市)の各首脳会談に臨んだ橋本龍太郎沖縄・北方対策担当相……宇野宗佑外相。森首相の写真には、ムネオスキャンダルの主役・鈴木宗男衆院議員=斡旋収賄罪などで起訴され、二〇〇四年五月現在、公判中=、案内の大矢快治・根室市長の顔もある。

 望郷の家に入り、らせん状の通路を降りていくと、一九九二年の初のビザなし交流で根室を訪問した南クリール地区のポキージン地区長の写真がある。さらに下ると、一九四五年十二月、北方領土の返還を初めて連合国総司令部(GHQ)のマッカサー司令官に訴えた安藤石典・根室町長のパネルが飾られている(いずれも当時の肩書)。

 彼らは、この「国境の海」をめぐる物語を語るのに欠かせない登場人物である。そして、密漁事件にかかわった竹野、中山、暴力団組長K、ロシア人密漁者も含め、一般に知られていない数多くの人々が物語の陰の主役であり、重要な脇役でもある。しかし、彼らの多くは、同じ「国境の海」という舞台空間を共有していたことを知らない。

 深谷長官は北方領土を視察すると、その日のうちに東京へ戻ってしまったが、読者の皆さんにはこれからしばらく、物語にお付き合いをいただきたい。ただし、これは悪役、悪人の登場しない物語なのです。


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