僕がこの本の出版にあたって写真や資料の入手に苦労していたころ、その鬱陶しさを吹き飛ばしてくれるような出来事があった。
二〇〇四年一二月のウクライナにおける「オレンジ革命」だ。ポーランドの新聞やテレビのニュース番組に連日、トップで紹介される首都キエフの独立広場。
そこにはオレンジ色の帽子やスカーフをまとった数十万人にのぼる老若男女の姿があった。自らの権利を主張するために、零下一〇度以下の極寒のなかで広場に
集まり、キャンプ用のテントを張って寝泊りする彼ら。ウクライナ人のエネルギーに驚かされた。
社会体制の違いこそあれ、権力側の不正に抗議する市民の姿は、二〇年あまり前のポーランドにもあった。しかしそれは、ソビエトの介入の脅威と戒厳令で鎮
圧されてしまった。ウクライナの情勢を見ながら、当時を懐かしく回想したポーランド人も少なからずいたらしい。あのウクライナ市民の光り輝く目は、かつて
自由を求めたポーランド市民と共通のものなのかもしれない。
政治的にみれば、ロシアと経済的にも文化的にも深い関係を持つウクライナの情勢に、西側諸国、特にポーランドが内政干渉するべきではないという意見が当
初、世界のマスメディアでは一般的だった。炭鉱を中心とする重工業地域で現政権を支持する東部と、農業が中心で比較的貧しく、野党を支持する西部に国が分
裂すれば、ウクライナ全体には不幸なことだろう。
しかし、酷寒の独立広場で何昼夜も明かす市民の姿に政治的打算は感じられない。いわゆる一市民の権利の主張なのだ。情報入手の自由化とともに、選挙にお
ける自らの一票が公平に反映されるべきだと、基本的権利を主張しているにすぎない。その姿に僕は感動した。
ポーランドは世界中のどこの国よりも早く、このオレンジ色のウクライナ市民を理解して支持した。ワレサ元大統領も独立広場でマイクを握った。ウクライナ
人同士の話し合いによる解決を促す氏の演説は市民を歓喜させた。氏はかつて、共産党政権との円卓会議を経てポーランドの社会体制を平和的に転換させた経験
を持つ。ワレサ氏と同時代に隣国のチェコスロバキアで社会主義政権と戦ったハベル氏は、こう言っている。
「わが国のように、民主主義を勝ち取った後に国が分裂するようなことがあってはいけない。今この瞬間だけでなく、ウクライナの人々には引き続き頑張ってほ
しい」
民主主義の一面での弱さを熟知する氏ならではの言葉であろう。
市民が自らの意志で社会の正義を求めて立ち上がった「オレンジ革命」。それがウクライナ全体の利益となってうまく反映されることを期待したい。
この本の出版を勧めてくれた凱風社の編集者は僕に、個人の視点からアウシュヴィッツを描いてはどうかと持ちかけてくれた。誰かに知識を「教える」のでは
なく、僕が実感した痛みや、驚きを伝えてみてはどうかという申し出だ。とても難しいことだが、考えてみると僕と同世代の人やもっと若い日本人の多くは、何
の苦労もなく手に入れたためか、自由や平和の尊さや民主主義を忘れがちだ。僕は、被害者としても加害者としてもアウシュヴィッツ強制収容所に直接関わらな
かった日本人の一人として、同胞に伝えられることがあるのではないかと考えた。
アウシュヴィッツに象徴されるナチス・ドイツの戦争犯罪に至るメカニズムを知る一方で、戦後の冷戦という困難な政治状況を経て、ドイツが国際社会におけ
る信頼を手にしていく姿をみることも大事だろうと思った。そういう意味で、今日のドイツやその周辺国の人々の様子も紹介してみたいと考えた。
二〇〇四年五月には、かつてソ連の衛星国と言われた旧社会主義諸国を中心として、一〇か国がEU(欧州連合)に加盟した。西欧諸国だけではなく新加盟国
内にも時期尚早との声が聞こえるなか、EUが拡大したことを知らない日本人がいるほど、波風を立てずにそれが実現した。経済格差を原因とする東欧から西欧
への労働者の流入や、新加盟国のインフレも、それほど問題とはなっていない。今回のEU拡大を推進したブリュッセルの欧州連合代表がドイツ人であったこと
も付け加えておきたい。今後はトルコが加盟を目指しているが、文化的価値観の異なるイスラム圏の国としては初めてであり、困難さが予想される。しかし、こ
れらの課題に立ち向かう欧州人のエネルギーには驚かされる。
第二次世界大戦が終結して六〇年を迎える二〇〇五年には世界各地で式典が催される。その皮切りは一月二七日のアウシュヴィッツ強制収容所解放記念日だ。
犠牲者への慰霊と、このような歴史が二度と繰返されないことを誓うため欧米から当地に四四か国の代表が集まった。五月にはベルリンで「欧州でのユダヤ民虐
殺慰霊碑」の除幕式が予定されており、そのモニュメントの建設作業が続いている。
一方、第二次世界大戦やそれに関連するアジアの紛争について、日本とその近隣諸国の歴史認識に大きな差があることは周知の事実だ。日本の歴史教科書の記
述内容に関する韓国の人々の怒りや、中国におけるサッカーのサポーターの反応など、メディアを通じて知らされるその内容に、私たち日本人の多くは苦い思い
を抱いている。しかしそれを解決しようとする動きはあまり見えてこない。人類の悲劇の象徴として、広島や長崎の原爆犠牲者慰霊式典は毎年世界へ発信され
る。八月一五日も、日本人が近隣諸国の人々と共通の認識を持って語れる日となることを望みたい。
(以下略) |