■まえがき


 二〇世紀最後の八月六日、大韓赤十字社ソウル支社において、韓国原爆被害者協会(以下、協会)主催の「第三三回韓国原爆犠牲者追悼式」が行われた。

 追悼式では、在韓被爆者の援護と被害補償を求めて一九六七年に協会を創立し、翌年八月六日に「第一回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」を敢行した徐錫佑さんが、 祭壇の前で、誰よりも深々と長い祈りを捧げた。

 原爆の火の海のなかで愛娘二人を亡くしてから五五年、協会を創立してからでも三三年。その長い歳月のあいだに、妻が、数多くの協会運動の盟友たちが、補 償も援護も受けられず、原爆後障害に苦しみながら、この世を去っていった。徐錫佑さんの静かな祈りは永遠に続くかのようであった。

 日本は、自らが今世紀前半に犯した大きな過ちを、とうとう今世紀中に償うことができなかった。

 わたしは祭壇の前に立ち、そのことを、日本によって人権を蹂躙され、命までも奪われた数万名もの韓国人原爆犠牲者に詫びた。そして、たとえ二一世紀にな ろうとも、一人でも多くの在韓被爆者が生きているうちに、「生きていてよかった」と思えるような補償と援護を実現するために、力を尽くすことを誓った。

 四半世紀間、協会運動を先導した辛泳洙さんが、苦難の原爆人生と引き替えに遺していった言葉がある。

 韓国被爆者は純全に他意によって、自身の欲望と幸福を踏みにじられたのである。我々は誰一人わかってくれる者さえいないまま、強大国間の戦争の犠牲にな り、人類史上空前の非人道的兵器の犠牲になり、言うなれば核時代の十字架を一人背負って死んでいく無念な集団なのである。……人類全体は我々韓国原爆被害 者の惨状に目を向けなければならない。その原因を突き止め、明らかにし、考えてみなければならない。その対策を準備し、救済しなければならず、二度とこの ような不幸と不条理が地球上で再発されないよう心に銘じることが、必ずや世界平和への道でもあるのだ。……韓国被爆者の問題は、けっして過ぎ去った昔の話 ではない。ますます今日的な、我々人類が深く考えなければならない人類自身の課題を抱えた、ますます現実的な主題でもあるのだ(朴秀馥著『声もなく、名も なく――韓国原爆被害者三〇年の記録』の序文より)。

 『ヒロシマを持ちかえった人々――「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』は、在韓被爆者が生きてきた二〇世紀一〇〇年の歴史を、二〇世紀後半を生きてきた 一人の日本人の視点から、掘り起こし、検討し、記録したものである。これは、わたし自身が親の世代から受け継いだ、大きな負の遺産の記録でもある。

 願わくば、この本が、韓国原爆被害者の惨状の原因を突き止め、明らかにし、その対策を準備するための、一粒の小さな種とならんことを。そして、この本を 読んでくださる方の心に、辛泳洙さんの遺した言葉が、たんぽぽの綿毛のごとく飛びひろがらんことを。


戻る