敗者はエネルギーを爆発させ、勝者は努めて平静を装う。二〇〇四年三月二〇日に行われた総統選挙の後、台湾では奇妙な光景が繰り広げられた。
選挙は与党・民主進歩党(民進党)の陳水扁総統が再選を果たしたものの、投票日前日に起こった銃撃事件の衝撃と、コンマ以下の得票率の差が勝者と敗者を
分けるというあまりの接戦ぶりに、街には戸惑いが広がっているように思えた。
私は翌朝、中国国民党(国民党)や親民党など野党支持者ら一万人以上による抗議活動が続く総統府前を訪れた。陳水扁総統の退任を求めるシュプレヒコール
と怒号が響き、警察が厳重な警備に当たっていた。
全島を二分した激戦は、台湾社会に大きな傷跡を残した。不満と憎悪が渦巻く現場に立ち、私は二期目の陳水扁総統が背負う重荷を肌で感じた。
あれから一年以上が過ぎた。台湾は表向き、平穏を取り戻したように見える。しかし、住民の間に刻まれた亀裂が解消したわけではない。陳水扁総統の再選で
台湾自立化路線が強まる流れにあるが、総裁選挙九カ月後の立法委員(国会議員)選挙では中台融和を唱える野党連合が勝利を収めるなど、台湾の内政は相変わ
らず不安定な状態が続く。
国際情勢に目を転じても、このところ、台湾を取り巻く環境は厳しさを増している。それは何といっても、中国が経済、政治、外交、軍事などあらゆる面で年
々、強大化してきているからである。
二〇〇八年に北京五輪、二〇一〇年に上海万国博覧会を控える中国は、高度成長の道をひた走っている。〇八年は台湾総統選挙の年でもある。中国は経済格差
や失業、農民問題など内部に爆弾を抱えてはいるが、その経済発展優先路線が崩れる局面が起こるとすれば、台湾問題が要因となる可能性が強い。中国は常々、
「台湾独立のたくらみを粉砕するのに、一切の代償を惜しまない」と警告しているからである。
国際社会の懸念を顧みず、二〇〇五年三月に台湾への武力行使の法的根拠となる「反国家分裂法」を成立させたのも、そうした決意の表れだろう。
台湾の陳水扁総統は任期満了となる二〇〇八年に、新憲法を施行すると公約している。立法院(国会)で野党が過半数を占めたことで、当初の思惑からは後退
しつつあるが、住民投票によって憲法を改正するシステムを成立させ、「中華民国体制」からの脱却を狙う。
中国の胡錦濤国家主席はこの年開催する北京五輪を成功させ、飛躍への足場を築きたい。そのためにも台湾の新憲法制定・施行など「独立に向けた動き」を認
めるわけにはいかない。国民党の連戦主席、親民党の宋楚瑜主席と台湾の野党党首を相次いで北京に招いて会談し、「台湾独立反対」を確認するなど、激しい揺
さぶりをかけている。
双方の立場は、とても一致点を探り出せないように見える。果たして、この攻防はどんな結末を迎え、その後の中台関係はどう展開していくのだろうか。それ
を予測するには、台湾はどんな特徴を持ち、どんな存在なのかを知っておくことが不可欠だ。
経済分野、特にIT(情報技術)産業では、台湾は世界で極めて重要な役割を演じている。そして、そこでは台湾と日本、韓国、中国が競争と協力を繰り返し
ながら発展している現実がある。本書の冒頭で紹介している液晶パネルに関連する部分の原稿は、何回も書き直さなければならなかった。企業同士の提携や撤
退、訴訟合戦など、本書を執筆している間にも、めまぐるしく状況が動いたからである。企業間の合従連衡は国や地域を越え、東アジア全体に広がっている。
日本や韓国のメーカーは基本的に総合エレクトロニクスメーカーである。仮に液晶で負け組になったとしても、まだ他の分野で生き残っていく体力がある。し
かし、台湾企業のほとんどは専業メーカーだ。負ければ即、市場から退場しなければならない。台湾勢はこんな熾烈な競争を勝ち抜いていけるのだろうか。だ
が、考えてみれば、こうした激しい変化を生き抜くことこそ、台湾企業が最も得意とするところである。
台湾経済の主な担い手は中小企業だ。起業家精神に富んだ台湾の中小企業経営者たちは、全く未知の分野である異業種に果敢に挑戦し、国際的な競争を戦い抜
いてきた。自らのブランドを持たず、日米欧などからの受託生産という独特のやり方に活路を見いだし、経済繁栄をもたらしてきたのである。戦後、農業から労
働集約型工業、資本集約型工業、知識・技術集約型産業と構造転換に成功してきたのは、政府の適切な政策とともに、こうした企業家たちのチャレンジ精神や柔
軟性、実利優先の合理主義によるところが大きい。
このような台湾経済の歩んできた道と現状、将来像を描けば、台湾の持つ活力を分かりやすく提示することができるかもしれない。本書が台湾経済の説明にか
なりのページ数を割いているのは、そうした理由による。
ただ、技術を日米など先進国に頼るだけでは、いずれ中国などにキャッチアップされる日がくる。また最近、台湾経済は中国への依存度が高まり、失業率の上
昇や技術流出など新たな問題を抱えている。高コスト構造や金融システムの機能不全などの症状も表れ、曲がり角にさしかかっている。中国への過度の傾斜は安
全保障の問題ともリンクし、台湾に難しい問題を投げかけている。ここをどう乗り切るか、今まさに正念場を迎えている。
そんな情勢認識に立ったうえで、改めて「二〇〇八年の攻防」について考えたい。
台湾内では、中国との統一・独立問題でどちらかに一定以上振り子が振れると、必ず逆作用が働く。二〇〇四年の総統選挙と立法委員選挙で示された正反対の
結果も、有権者のバランス感覚が生み出したものである。中国とはますます経済関係を深めていくだろうが、中国に取り込まれることなく、ビジネスを進めてい
くはずだ。
「名」より「実」を取る。変革は望むが拙速は避けじっくりと――。
これが近代以降、日本と中国という大国に翻弄されながらも、したたかに生き抜いてきた台湾人たちの人生の知恵なのである。
中国もその点を理解すれば、武力行使という選択はあり得ないはずである。武力を背景とした威嚇や圧力は台湾人の心を大陸から引き離すだけだ。こうした点
を考えると、中台間で激しい綱引きが演じられても、双方の力の均衡がよほど大きく崩れない限り、当面は現状維持が続くとみていいだろう。
私自身は、台湾から帰国して三年がたつ。その間、元台北特派員として、経済記者として、そして元台湾在住の日本人として、台湾を見つめてきた。日々の細
かな動きはフォローしきれないが、台湾と一定の距離を置くことで、世界経済における台湾経済の存在感など、新たに見えてきたこともある。
前作の『台湾新世代――脱中国化の行方』(凱風社)では主に、二〇〇〇年に初の政権交代に至った事情や、陳水扁政権の一期目の実態、膠着したままの中台
関係などを描いた。
本書では、台湾内政や中台関係では陳水扁総統再選後から二期目の任期が満了する二〇〇八年までをにらんだ動きに焦点を当てており、『台湾新世代』ではあ
まり触れていなかった台湾経済の紹介にも力点を置いている。その意味で本書を『台湾新世代』を補完する続編とした。
日本では対中関係が悪化するに従って、中国を牽制するカードとして台湾を使おうとする動きが強まる。台湾問題を考えるには、まず台湾理解を深めることが
重要であることは言うまでもないが、対中カードとしての位置づけにすぎない限り、台湾に対する見方は日中関係の現状に左右され、ぶれやすいのが実情であ
る。
台湾海峡をめぐる対立をいたずらに煽るのではなく、冷静に現実を見つめたい。本書がその一助になれば幸いである。
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