■はじめに


 かつて、エジプトのピラミッドは奴隷労働によって作られたものだと考えられていた。あんなバカでかいものは絶対的な権力を持つ王様の命令による奴隷労働 でなければできるものではないように思われ、当然のことのようにそう思われてきたわけだ。しかし近年研究がすすんで、当時の労働者の出勤簿などが発掘さ れ、二日酔いでサボることも認られていたなどと分って、あれは案外、公共社会事業的な性格もあった仕事で、人々は喜んでそれに参加したのではないか、とい う説も現われるようになった。

 労働にはもともと、苦役の面と、生きる歓びの面との二つがあって、仕事の内容、状態、本人の身分や階級、資格、能力、時代の気風、などなどの条件でそれ らがはっきりと、あるいは微妙に入りまじる。苦役以外の何物でもない労働もあれば面白くてたまらないような仕事もある。もちろん大部分はその中間にある。 そこに本人の適性や主観も条件として加わるからどれがいいの悪いのといちがいには言えない。

 労働についてのイデオロギーも、支配者側は、職業に貴賤はないのだからみんな自分の仕事に満足して喜んで働け、と言いたがる。他方近代のマルクス主義系 の思想家たちや芸術家は、資本主義社会では労働はどうしても苦役になりやすいと主張して、労働の歓びは社会主義社会にしかあり得ないと強調した。しかし現 実には社会主義社会こそが強制労働などを土台にしてかろうじて成り立った場合が多かったことが明らかになり、その多くが崩壊してしまった。

 しかし彼らが主張した、労働を人間的なものにしてゆこうという願いを資本主義社会が解決したとも言えない。社会全体を豊かにしたことで資本主義先進工業 諸国は労働を比較的に楽なものにした。しかしそれはじつは、人間を搾取するかわりに地球の資源をより効果的かつ徹底的に搾取する手段をどんどん開発したこ との結果である。かくして地球は破滅に向ってまっしぐらと見える。なんとかしなければならない。この大問題を解決する確かな方法なんて分るはずもないが、 少なくともその鍵のひとつは、やたら資源の浪費につき進む横着を止めて肉体労働の意義を見直すといったところにあると思う。

 なんだか大げさな話になってしまったが、どんな労働なら苦役で、どんな労働なら歓びであり得るか、いまやあらためて考えてみる時期であると思う。

 この本におさめたエッセイの多くは、一九八〇年代のはじめに日本労働組合総評議会(通称・総評)の機関誌『月刊総評』に書いたものである。労働組合の雑 誌だから、映画を手掛りにして労働の意味について考えてみようとしたのである。これを凱風社が『スクリーン労働論』という本にまとめて一九八四年に刊行し て下さった。だから扱っている映画にはいまでは忘れられているような作品もあるが、当時は働くということの意味を考えさせてくれるような作品が多かったと 思う。それらのうち、いま読み直してさらに考えてみたいと思った文章を選んで加筆したり、さらにそのごに見た映画で新しい観点を見出して書いたりして新た にこの本をまとめた。映画と直接関係はないが、働くということについて考えた他のエッセイも加えた。

 「一人前になるということ」は私の旧著『いかに学ぶべきか』(大和出版、一九七三)に収めた「私の独学と職業」を大幅に書き直したものであり、「仕事の 貴賤」はおなじく『苦労人の文学』(千曲秀版社、一九七八)に収めた「椎名麟三論」に加筆したものである。私は映画評論家であるが、働くこと、学ぶことな どにはつねに関心があって、折にふれ考えつづけてきた。

 働くということが単に生活費を得るという以上のものであるためには何が必要か。どうしたら働くことが生きる歓びになり得るのか。それが問題だ。



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