■まえがき


●まえがき

 前世、私は犬だったのかもしれないと思うことがある。

 なぜなら、私は異様に犬好きなのである。犬の気持ちも手にとるようにわかる。霊とコンタクトができるのが「霊能者」なら、さしずめ私は「犬能者」だとい える。世界を旅している間も、あっちこっちから犬が寄って来て私に話しかけてくる。

 「ねえちゃん、ひとりぽっちでさみしいよ。遊んでよ」

 「ねえちゃん、おなかがへったよ。何かくれよ」

 そういって犬たちに見つめられると私はフラフラとおびき寄せられ、気がつくと彼らのいうなりにエサを与えたり、一緒に遊んでしまっている。人間の物売り や物乞いは冷たく無視できるのに犬に対しては無条件で降伏させられ、天命なのかと思えるほど、犬に尽くしている私がいるのである。物心ついた頃からずっと 犬が身近にいるのも、こうして犬の話を書くのも、きっと前世から続く犬族との因縁のせいに違いない。

 犬が好きなのと同じくらい、私は旅が好きである。東京生まれ東京育ちの私が、わざわざ信州にある大学へ進学したのも、「四年間も旅ができる」という軽い 動機からだった。旅に憧れていたその頃、「旅」といえば「信州」だったのだから、我ながら単純だったんだなあ、とも思う。もちろん、そんなことを考えるの は私くらいで高校の同級生のほとんどは東京の大学へ進んだ。当然だ。東京には大学がたくさん集まっているし自宅から通学できるのだから、なにも地方へ行く ことはない。都落ちだ、変わり者だなど周りからいろいろと言われたものの馬耳東風。私の場合、大学選びは旅先選びと一緒だったわけで、東京や東京近郊では まったく意味がなかったのである。

 そうして入学した大学の四年間、バイクという格好の旅の道具を駆使して信州を堪能し、無事に卒業したわけだが、就職しても旅への好奇心は膨らむ一方だっ た。結局、三年で会社員生活に見切りをつけ、かねてから憧れていた「海外をバイクで旅する」ことを実行に移した。ワーキング・ホリデー・ビザを取得しオー ストラリアを九カ月間バイクでツーリングしてみると、その面白さにすっかりはまってしまった。もっと世界を旅したい。そう思いながら帰国すると、本格的な 旅人生が始まり、以後、取材の仕事やプライベートな旅で国内外を思う存分旅することとなる。気がつくと、訪問国は百十一にも及んでいた。

 「犬好き」で「旅好き」の私をしばし悩ませていたのが、旅の間、愛犬と会えないことだった。最初のうちは単にそのさみしさをまぎらわす程度に旅先の犬た ちと浮気していたのだけれど、いろいろな国でたくさんの犬たちと遊んでいるうちに、日本で出会う犬たちと比べて表情も感情も豊かなこと、意思の疎通もス ムーズにいくことがわかってきた。鎖に繋がれずに自由気ままな生活を送っている彼らは、他の犬や飼い主以外の人間たちとも接触する機会が多いためか、無闇 に吠えたりおびえたりすることもなく、異邦人の私とも仲良くしてくれる。それでいて自分が「犬」であることを忘れないで、しかも社会の一員として暮らして いるので、犬を観察していると、その国の社会事情やお国柄も見えてくる。犬たちと出会うことで旅の視野も広がった。

 一方、日本では、旅をしても外国のように多くの犬と出会う機会がないことにも気がついた。何しろ日本の犬たちのほとんどは飼い犬で、大半は家の中に囲わ れているか庭に繋がれている。発展途上国のように放し飼いの犬や野良犬もいないし、欧米先進国のように犬を道連れに旅ができる環境が整っていないのだか ら、出会いがないのも仕方がない。しかし、徹底的に管理・隔離された日本の犬たちは、なんだかとても気の毒な存在に見える。

 そんなわけで、私は外国へ行くと犬との出会いを積極的に求める。犬に話しかけ、エサを配り、はべらせたり連れ歩いたり、ときにはストーカーまがいに犬を 観察する。そんな私を、周囲の人々は奇異な目で見ていたようで、一緒に旅をしていた夫はとても恥ずかしい思いをしたらしい。申し訳ないとは思うけれど、 やっぱり私は犬が大好きだ。世界には日本ではなかなか出会えない個性的で魅力的な犬たちがたくさんいる。そんな素敵な犬たちのことを少しでも多くの人に 知ってもらい、「犬族」の好感度アップに努めるのが、犬の生まれ変わりである私に課せられた使命なのでは?――その思いをこの本で汲みとっていただければ 幸いである。



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