訳者まえがき

――ロシアの文学と正教について――

 次の引用はドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の一部です。

 グリゴーリーはスメルジャコフに 読み書きを教え、十二歳から宗教史を教え始めた。しかしこの仕事は無駄だった。まだ二、三回目のある日、少年が突然、せせら笑ったのである。 「なん だ?」

 グリゴーリーは怖い目をして尋ねた。

 「べつに。だけど神が光あれといったのは最初の日で、太陽と月と星は四日目でしょ。じゃ初日の光はどこからきたんです?」

 グリゴーリーは然とした。少年は軽蔑したように先生を眺めた。生意気そうな目をしていた。グリゴーリーはこらえきれずに、「ここからだ!」と叫び、生徒 の頬げたをぶん殴った。

 次はアンリ・トロワイヤ『ドストエフスキー伝』(村上香住子訳、中央公論社)から。

 ドストエフスキー家の子供たちの教育は早いうちから始められた。(中 略)最初のテキストとして選ばれたのは『旧新約聖書一〇四の物語』だった。貧弱な挿絵が、天地創造、楽園のアダムとイヴ、大洪水を表していた。(中略)子 供たちが『旧新約聖書』の物語が読めるようになると、ミハイル・アンドレーヴィチ(作家の父)は、聖人伝記を教えてもらうために、博学な補祭に家庭教師を してもらった。(中略)彼の雄弁な話術には、家族全員が魅きつけられた。

 これらの引用から、ドストエフスキーを含む十九世紀のロシアの子供たちが、一部であっても家庭で大人から聖書の物語を教わったり、読んだりしていたらし いということがわかります。

 日本ではドストエフスキーはよく読まれました(一九七〇年代に学生時代を過ごした世代までは、と限定したほうがいいかもしれません)。けれども、特にそ の最後の世代の少なからぬ部分は、「転向した革命家」の言葉としてこの作家を読みました。それは時代状況と関係があったためでしょうし、もう一つは、作家 が信じていたロシア正教の情報がほとんどなかったためでもあります。もっとも、作家が若いころに夢中になった社会主義とは、実は独特の解釈を施されたキリ スト教にすぎなかった、との指摘もあります(コマローヴィチ『ドストエフスキーの青春』中村健之介訳、みすず書房)。

 ドストエフスキーやトルストイに代表される十九、二十世紀のロシアの文豪の創作活動の基礎には、ロシア正教があります。そして、作家たちが初めて正教と 接するときのテキストとなったのが、聖書物語です。もちろん本ばかりではなく、家庭や教会、学校で年長者たちから教わり、村々にやってくる巡礼から聞く聖 人の物語、そして灯明の向こうにぼんやりと浮かび上がるイコンに描かれたキリスト像などが渾然一体となって、聖書の物語のイメージが形成されていったので しょう。この本はドストエフスキーが『作家の日記』の中で、子供のころに繰り返し読んだと書いた聖書物語そのものではありません。しかし内容はほぼ同じと みて差し支えないでしょう。三十年前と比べると、現代は調べようと思えば格段に多くの情報に接することができる時代です。けれどもまだ、隣国であるにもか かわらず、このロシアの伝統的宗教に関する情報は不足しています。この本を翻訳した意図の一つは、そこにあります。

 原著は一八九六年に三刷が出た古いもので、一九九一年に復刻されました。復刻版を出したモスクワの出版社の説明によれば、二〇世紀初頭まで幅広い読者の 支持を得ていたということです。

 ロシアにはイスラム教徒や仏教徒、カトリック教徒もいます。ソ連時代は正教会と同様に迫害を受けました。ソ連崩壊後、世界中に多くの信者がいるイスラム 教徒やカトリック教徒には多くの支援が寄せられました。正教会にはそうした支援はなく、すべて自前で教会の再建を始めました。ソ連崩壊は正教会にとり、 「喜ばしい」出来事ではあったのですが、それと同時に新たな困難が始まりました。ソ連崩壊と同時に、カトリック教会やイスラム教と並んで、信者の家族関係 を破壊したり、麻薬を使うような妖しげな宗教団体も、日本を含め世界中からロシアにやってきて活動を始めました。正教会の前にこのような問題が大波のよう に打ち寄せました。けれども、これらの困難の中で最大の問題は、ドストエフスキーが「マモニズム」と呼んだ拝金主義の台頭でした。

 ソ連がなくなったとき、そこに暮らす人々が受けた衝撃はどれほど大きかったことでしょう。国家という枠組みが崩れ、社会が混乱し、家族の基盤が揺さぶら れたとき、人々はどんな思いにさらされたでしょう。大切にしていたものが、ある日突然、なくなってしまうとき、自分の力ではどうにもならない激しく冷たい 激流に足をすくわれるとき、人は何かにすがりつき、救いを求めます。

 キリスト教を信じているわけでも社会主義を信じているわけでもない、ごく普通の人々の生活は、それまではともかく安定していました。それは、ぜいたくさ えしなければ、まずまず生きていける賃金、月々のささやかな年金、小さなアパートなどから成り立っていた、つつましい暮らしでした。ひょっとしたら、小さ な自動車もあと何年かすれば手に入るかもしれない。そういうささやかな希望もありました。そしてこつこつと働き続け、社会の役に立ってきたという自分の人 生の充実感と誇らしさ。その半生に社会が払う尊敬。ソ連時代の多くの人々の生活は、そうした基礎の上に組み立てられていました。

 その基礎がある日突然、がらがらと崩れました。何十年も働いて、もう少しで自動車を買えるまでになった貯金は、あっという間に乳母車も買えない紙くずに なりました。年金給付は滞り、給料がもらえないこともありました。まともな仕事の口はないのに、金もうけがいちばん大事なこととされ、貧乏は恥だという風 潮があらわれました。何より堪えられないのは、ごろつきのような連中が金持ちになり大きな顔をする一方で、まじめに働いてきた人々が踏みつけにされだした ことです。

 作家ソルジェニーツィンは一九九八年刊の『崩壊するロシア』で、「今日の破壊的な状況の中で、人々は何らかの力強い精神的な支えを必要としている」と書 き、社会の中での教会の役割が不十分だと指摘しました。また「正教徒であるということが、ロシアの文化をかたちづくった。私たちの心に残り、習慣の中に残 る正教こそが、私たちロシア人を一つに結びつけている」とも書いています。この言葉は、「ロシア人とはまず第一に正教徒のことだ」というドストエフスキー の言葉を思い起こさせます。ソルジェニーツィンの警告から約十年を経て、ロシアの状況はむしろいっそう、深刻化しているように見えます。

 自分はいったい、何者なのか。なんのために、どう生きればよいのか。そう思うとき、人は支えを求めます。こうした人々の精神的危機を深く感じ取ったから こそ、この本が再び世に出されたのではないでしょうか。そしてこの精神的危機についていえば、歴史も文化も違うとはいえ、ロシアばかりでなく、現在の日本 にもあてはまるのではないか――私にはそう思えるのです。

高橋龍介


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