■プロローグ


 ビルマ(あるいはミャンマー)と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。ある友人は私がビルマに行くと言ったら、「あんな危険な国に行ってほん とうに大丈夫なの?」と本気で心配してくれた。民主化リーダーであるアウンサンスーチー女史の二〇年に及ぶ自宅軟禁、カレン民族はじめ少数民族に対する弾 圧。確かに日本にいると、軍隊が支配する国ビルマからはきな臭いニュースばかりが飛び込んでくる。そうかと思うと、私がビルマに行くと聞いて心底うらやま しそうにする友人もいる。ビルマが好きで好きでたまらないのだ。

 実際、第二次大戦の時、ビルマに派兵された軍人の中には、ビルマが「気が狂う」ほど好きな、いわゆる「ビルキチ」と呼ばれる人たちがいる。彼らは決して いい思い出ばかりでなかったはずの戦場ビルマに、戦後も毎年通い詰めていたりする。しかもそういう人の数は決して少なくないのだ。第二次大戦当時、日本軍 は「大東亜共栄圏」の美名のもと、東アジアから東南アジアのほぼ全域に展開した。その中で、中毒のようなファンをこれほどたくさん作り出した国を私はビル マ以外に知らない。ビルマには間違いなく日本人を引きつける何かがあるようだ。

 私はビルマには二つの顔があると思っている。ひとつは人々を虜にする「微笑みの国・ビルマ」。底知れぬ優しさにあふれた顔だ。そして、もうひとつの顔。 それは軍隊や秘密警察が生活の隅々まで目を光らせているあまりありがたくない「軍事独裁国家・ミャンマー」という顔だ。

 もちろんツアー旅行に参加して、お寺めぐりや川下りだけを楽しんでいればこの現実は体感できないかもしれない。しかし、ひとたび人々の暮らしの中に入っ てみたり、旅行者ならごくあたりまえの「行きたいところはどこへでも行くぞ」という好奇心を抱いたりすれば、たちどころにさまざまな事態に直面することに なる。ビルマ=ミャンマーを旅するということは望むと望まないにかかわらず、この両極端な二つの世界を揺れ歩くことなのかもしれない。

 アジアの国々を訪れるたびに一つの言葉が頭をよぎる。それは日本で暮らしていたあるイギリス人青年の発した言葉だった。彼は日本滞在中、身に覚えのない 罪を着せられ逮捕された。必死で容疑を晴らそうと裁判で争っているさなか、不利になった検察当局のさしがねで、ビザの期限切れを理由に強制退去を命じられ たのだ。日本を去る前、彼は日本の人々にこう語った。

 「私は今でも日本が好きです。日本の人々は最高だ。社会もすばらしいと思う。しかし、日本の政府は最低だ」

 日本の社会がすばらしいかどうか、私にはよくわからない。しかし、「素敵な人々」と「最低の政府」。それはその後、いくどとなく目の当たりにするアジア の国々の現実でもあった。そして、それが最も鮮明に現れているのがビルマという国なのかもしれない。

 熱帯の風景のように光と陰が眩しく交錯するビルマ。この旅を通して、その現実を少しでも伝えられればと思っている。

 旅を始める前にどうしても断っておかなければならないことがある。少しでもビルマに関心のある人なら、いくどとなく耳にしていると思われる国名の表記に ついてである。

 パソコンで「ビルマ」と入力すると、親切にも「地名変更→ミャンマー」と表示してくれる。そう、少なくとも日本の辞書では、ビルマという国はこの地上か ら消滅したことになっている。

 現在の政府が突然、英語の国名をイギリス植民地時代から使われている「burma(バーマ)連邦」から「myanmar(ミャンマー)連邦」へと変更し たのは一九八九年六月のことだ。変更の理由は、「バーマ」というとビルマ人の国家という意味になる。しかし、ビルマには多くの少数民族が暮らしている。そ れには古くから使われている「ミャンマー」のほうがふさわしいという。一見もっともらしく聞こえるが、そこにはある企みがあるといわれている。

 一九八八年、クーデターによって政権を奪取し、その後も恐怖政治によって政権の座に座り続けている現在の軍事政権を、欧米を中心とした国際社会は正式な 政府として認めようとしなかった。そこで政権はひとつの踏み絵を用意した。それが国名をはじめとした地名の変更だった。国名のほかに、たとえば首都「ラン グーン」は「ヤンゴン」に、ビルマを貫く大河「イラワジ」は「エーヤワディ」。そんなふうに聞き慣れた地名の多くがこの日を境に別の名前へと変えられて いった。

 ビルマ人に尋ねてみると、「バーマ」も「ミャンマー」ももともとは同じ意味だそうだ。話し言葉と書き言葉が異なるケースが多いビルマ語では、「バーマ」 という言葉が口語的であるのに対し、「ミャンマー」は文語、つまり文字に書くときに使われる機会が多い、その程度の違いだという。日本国の国名を「ニホ ン」と呼んだり「ニッポン」と呼んだりするのと大差がないようだ。それを聞くかぎり、少なくとも少数民族を含めた連邦国家であることを示すために国名を変 更したという説明には、かなりの無理がある。

 国名にどこまでこだわるべきか、悩ましい問題ではある。ある国が自分の国をどう呼ぼうと、外国人がとやかく言う問題ではないという思いもある。しかし、 地名を改ざんするということは、結局、人々の記憶を改ざんするということである。地名が代わることで、その土地が背負ってきたさまざまな歴史の記憶が消さ れてゆく。こうした記憶の改ざんが国民の支持がない独裁政権によって行われ、しかも国際社会に対する踏み絵としてなされているのなら、やはり書き手として は慎重に、そして自覚的に選択する必要があると思う。

 たとえば、アメリカやオーストラリアは国家レベルでビルマの国名変更を認めていない。中国も従来から使っている「緬甸(ミエンディエン)」のままだ。ま た、『ワシントンポスト』(米)、『ル・モンド』(仏)、『バンコクポスト』(タイ)など世界の名だたるメディアも旧名の「バーマ」を使い続けている。こ うした世界の流れの中で、日本だけが政府の方針に無自覚に従い、ほとんどのメディアが「ミャンマー」という呼称に変更してしまった。しかも、ビルマ政府が 変えてほしいと言ったのは、英語名の「バーマ」であって、オランダ語経由の日本語である「ビルマ」ではないにもかかわらず……。

 この本では国名は日本が伝統的に使ってきた「ビルマ」と表記し、地名も最初のみ両名並記し、その後は原則として従来のもので表そうと思う。


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