ノスタルジーを越えて
●日帰り文化圏、発見
機体は一路、中国・東北地方へ。かつて「満洲国」と呼ばれた地へ向かう。
ひととおり雲海を抜け、樹氷さながらの積乱雲の林をもすり抜け、頭上をなでるすじ雲に、ひととき涼やかなこころもちに。こうしていくつもの雲の層を抜
け、最上空におどり出るにつれ、少しずつ何かが変わってゆくのを感じた。別次元に接続される、もしくは移行してゆくような気がする。いつになく陽光がまば
ゆい。
日本〜大連間二三〇〇キロ、飛行時間にして、わずか二時間半の距離。この地はあと一〇年もすれば、「日帰り文化圏」に入るという。国土形成計画(国土交
通省)によれば、航空路線とくに地方便の増便や、空港へのアクセス改善により、二〇一七年までに、現在の日帰り文化圏がソウル・上海までであるところを、
北はハルビンまで拡大するという。するともちろん、長春や瀋陽も含まれてくるだろう。いや、すでに大連は距離的には「日帰り文化圏」に入っているのではな
いだろうか。
わずか二時間の位置にある、新天地。
その魅力に気づき始めている人は、まださほど多くはないが、たしかに存在する。大連行きの出発ロビーを見渡せば、中高年の団体ツアー客に、わずかながら
OLの自由旅行者が混じる程度だろうか。人々のいでたちは、ソウルや上海行きとは微妙に異なり、カジュアルで素朴なものを愛する性格が、にじみ出るような
ものであった。
なお、本書ではこの地を「旧・満州」とはいわず、「満洲」と表記する。とくに日本のかいらい国家・満洲国を称揚したり肯定しようという意図ではない。
●思考停止を解除する
ところで現地を取材しながら、驚いたことがある。長春の地ほどおおっぴらに、戦前の日本の築いた建築物が、大量に街の中心部を固めている街が、他にある
だろうか。
渡航するまでは、私のなかに、こんな先入観があった。「満洲国」の消滅とともに、すべてが幻に、砂塵のなかに帰したような感覚が――。同時に日本人もま
た、その先の時代については、「×」とばかりに、思考停止をさせられているように思われた。「満洲国」そのものを語ることすらタブーであった時代もあっ
た。
ところが現地をおとずれてみると、戦前のインフラに加え、東北人の手によって、着々と都市づくりは続けられていた。現地には、たしかに今でも人々の生が
息づいている。意外と言えば意外、あたり前と言えばあたり前のことなのだが。
「その先」の時代にまなざしを向けることは、はたしてタブーなのだろうか。答えの出ないまま、一人、黙々と取材を続けた。同時にまた、「五族共和」の観
念に賛同しながら、自分はどれほど満・蒙を知っているのだろう。そんな自戒もインセンティブとして。
五族共和は、「満洲国」の国家イデオロギーだった五族協和ではない。辛亥革命直後に孫文らが提唱した、多民族国家としての中国像だ。五族は@漢族、A満
洲族、Bモンゴル族、C回族(ウイグル族)、Dチベット族をいう。
東北人もまた、複雑な心境を抱えているのかもしれない。糾弾と懐古とのアンビバレンス。そして日本人もまた、歴史的反省と啓蒙気分とのアンビバレンス
を。
ただしそれらを期待していらっしゃるかたには、申しわけないのだが、本書は過去をあつかった本ではない。歴史を避けるわけではないが、テーマとしてはと
くに経済・文化に焦点をあて、現在の東北地方の姿を追究している。従来の懐古ものや歴史研究ものの枠組みに新たな視点を投げかけられればと――現在に生き
る風俗が、この本の主題だ。言い換えれば、日本人の目に映る満洲ではなく、東北人の示そうとしている自らの地について――となるだろうか。
東北人は純朴な人々だ。商売ズレしておらず、とくに大連人は日本人に優しい。満洲族と漢民族、時にはモンゴル族も入り交じり、双方、移入しあったすえ
に、はぐくまれるものがある。共和リミックスとでも言おうか。
ところで三省一区という表現がある。東北三省(遼寧省・吉林省・黒龍江省)プラス内モンゴル自治区というわけだ。こうした枠組みから、本書も内モンゴル
に一章をさいている。ただし取材の限界から、東北地方については遼寧省に最も多くをさいていることをご理解願いたい。
ともあれ満洲を見つめる本は既に数百冊にのぼる。現在から過去を見つめる本も同様だ。それでは現在の東北地方から未来へとまなざしを向ける本は? 新世
代ならではの視点として、本書をお届けしたい。
●好きなところから読める
本書に集められたキーワード七三個は、きわめて東北的なものばかりだ。それらを体感してみようとばかりに、感性でつむぎあげたのが本書である。旅行者で
も直接、触れることのできる風物を中心に紹介させていただいた。遠い昔のノスタルジーにとどまらない、その気になれば手が届く、現在進行形の姿がそこにあ
る。あなたが現地で体験できる。
「人生に、東北の楽しみ、ひとつ増やした!」
とばかりに、本書を通じて東北地方をお気に入りの旅先に加えていただければ、私としてはこれほど嬉しいことはない。
本書に集めたキーワード七三は、東北地方という多面体の一面だ。数々の視点のなかで、あなたのアンテナに響くのは? まずは一〇ページの目次から開いて
いただければ、と思う。気になる項目をチェック、好きなキーワードからご覧いただくにつれ、関連する様々なキーワードにも出会うはずだ。必要に応じての
あとに続くページを参照するもよし、後から飛ばしたキーワードに戻るもよし。やがてはパッチワークのように、東北像が編み出されてゆくはずだ。さらに渡航
を思いたってくださるならば、各項末にある「私の旅のおススメ」体験場所から、そのつど巻末(P243〜P248)のアクセス一覧へと飛び、□欄にチェッ
クを入れておけば、読み終わるころには、あなただけのガイドブック、携行型の「旅の事典」が完成していることだろう。
日本の北西に位置する大地、まださほど旅行者の多くない新天地へ。まずは本書とともに、心の旅へ出発してみてはいかが?
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