■はじめに


 抗日戦争に勝利して以来、ちょうど六〇年が経った。この間、香港の被占領史にまつわる一次資料は決して豊富とは言えない。本書はインタビュー形式を採 り、教育をめぐる個人の経歴を主題に、失われ行くオーラル・ヒストリーのデータを救い出して抗日戦争の歴史に関する証言をひとつでも多く残そうとする試み である。それを通じて、日本の軍国主義が香港住民を含む幾千万の中国人、ひいてはアジアの人民にもたらした種々の災難を、次の世代に忘れずにいてほしいと 願うものである。

 一九三一年、日本は「九一八事変」[柳条湖事件=満洲事変のこと]を発動して中国東北部に侵略した。一九三三年二月にはさらに熱河を占領し、同年四月に なると長城領内に侵攻した。一九三五年には「華北事変」を起こして、華北の併呑を企てた。一九三七年七月七日の「盧溝橋事件」により、全面的な抗日戦争が 始まる。抗戦初期においては、一部の沿海地域の大都市が不幸にも相次いで日本軍の手中に落ちた。一九三七年一一月の上海陥落に続き、一九三七年一二月一三 日には日本軍は南京に侵入し、六週間に及ぶ「南京大虐殺」を繰り広げた。一九三八年一一月には、広州も陥落する。

 日本軍による絶え間ない侵攻の結果、大量の難民が南の香港へと押し寄せ、香港の人口は一九三七年の約一〇〇万から一九四一年の一六〇万余りへと急増し た。同時に、香港は中国内地への重要な物資中継基地として、内地の抗戦を支援する役回りをも帯びた。

 三〇年代の香港の学校には、伝統的な塾師が主宰する私塾、私立の中文学校、それに官立英語学校などがあった。クイーンズ・カレッジ、ベリリオスなどの官 立英文中学はイギリス式の八年制の学制を採用し、最高学年は大学予科の学年であった。中文学校は多くが内地の教育部の政策に沿って小学校六年・初級中学三 年・高級中学三年の「六三三」制を採用し、香港での登録のほか、多くは広東省教育庁または僑務委員会の認可を受け、教育部に登録されていた。抗戦が一段落 すると、大量の知識人や教師が内地から香港に南下して来て、培正、培道、華英、嶺南などといった内地の学校も続々と香港に移転し、香港の教育と文化の発展 を推進した。当時、香港の学生の多くは、寄付や合唱団などの活動を通じて抗日救国事業に積極的に身を投じた。

 一九四一年一二月八日、日本軍は香港を襲撃した。一二月二五日のクリスマスに、当時のヤング香港総督は日本軍に降伏し、一八日間の香港攻防戦に終止符を 打った。こうして、香港は三年八ヶ月の被占領期に入ったのである。それは香港の歴史上、最も凄惨な暗黒の一ページであった。人口は激減し、あらゆる産業は 冷え込んで活気を失い、至るところ戦災の被害に遭って流浪する人であふれた。また、香港の教育はほとんどすべて機能を停止してしまい、多くの校舎は破壊の 憂き目にあった。小中学校の数は大幅に減少し、児童生徒数も一九四一年の一一万二〇〇〇人余りから一九四五年の約三〇〇〇人へと激減した。児童生徒の大多 数が、学校生活を奪われてしまったのである。そして、高等教育も全面的に機能を失った。

 被占領期における香港の教育は、明らかに奴隷化教育を特徴とし、いわゆる「大東亜の聖戦」を宣伝する色彩を帯びていた。当時の日本軍は総督部管轄下の民 治部に文教課を設置し、ここが教育行政を主管するとともに、日本の軍国主義を美化する新たな教科書を編纂し、各学校に採用を命じた。同時に英語の使用を禁 じ、すべての学校に対して日本語科目の必修化を規定し、さらに「日本語教員養成所」を設立して日本語教員の養成に当たった。各種の私立日本語学校も続々と 誕生した。

 一九四五年八月一五日、日本の天皇が無条件降伏を宣言し、艱難の抗戦はようやく終結した。その後、香港の人口は回復し、教育も徐々に復興の道をたどっ た。一九四六年一〇月には、児童・生徒数は八万人以上にまで増加している。

 本書に登場するインタビューの語り手は、若干高齢の数名の方を除き、皆さん占領期には幼少で、ちょうど学齢期にあたる年齢であった。教育とは本来、人間 が成長する上できわめて重要な段階を占めるものであり、また子ども時代とは楽しく純真な時期であるべきである。しかし本書に登場する皆さんは戦火のただ 中、日本軍の銃剣のもとで、あるいは千里の道のりを逃げ延びる流転の生活を強いられ、あるいは学業の中断を余儀なくされ、あるいは生計を立てるため身を粉 にしてきた。しかもその間、死や飢餓や疾病の恐怖に絶えず直面していたのである。

 インタビューに応じて下さったこれらの方々とは、主に個人や社会団体の紹介を通じてお目にかかることができたが、皆さんはかつて抗戦期の苦難の日々を身 をもって体験しており、そして占領期前後に香港で教育に携わったか、あるいは教育を受けた経験を持っている。本書のインタビュー原稿は、筆者が整理すると 同時に歴史資料との対照を行っており、その後語り手本人による校閲を経て刊行への同意を得ている。それぞれのインタビューは、一八名の語り手が当時おもに 生活していた地区ごとに並べた。蔡松英、劉錦文の両氏は、当時新界地区で活躍した東江縦隊港九大隊の元隊員である。九龍市街地区に住んでいたのは譚月華氏 ら八名、香港島にいたのは黄樹芬氏ら九名である。また、本書では教育の定義を若干広げ、正規の学校における教育のほか、余暇を利用した学習などの非正規教 育をも含めている。インタビューに応じて下さった語り手たちが当時学んだり教えたりした学校は、香港の官立学校・私立学校・教会学校・義学[庶民を対象と した無償または低廉な授業料の学校]・夜間学校・私塾・ゲリラ隊の識字教室など多岐にわたり、かつ、広東・広西・貴州など各省にまたがる内地の学校を含 む。

 本書の付録として、四〇年代の香港の主要な活字メディアが報じた教育に関する報道をいくつか紹介した。占領前、占領後、そして戦後の香港における教育の 状況について読者の理解の一助となれば幸いである。

 本書の完成は、ひとえに語り手の皆さんのご協力による。皆さん高齢にもかかわらず快くインタビューや原稿校閲に時間を割いて下さり、さらには当時の写真 など貴重な資料を快く提供して下さった。ここに厚くお礼を申し上げたい。(以下略)



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