はじめに 【序 章】本研究のねらいと本書の構成  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ▼「ダック・アンド・カバー」 ▼新たな認識の転換点になった五四年の核実験 ▼民間防衛計画のねらい ▼原爆認識の日米の違い――公式見解はなぜ 維持されつづけてきたのか ▼疑問の多い核抑止論伝説 ▼本書の構成 【第一章】占領下日本における米国の原爆情報収集と報道統制  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 第一節 ファーレル声明とプレスコード ▼「新型爆弾」に対する大本営の対処法 ▼「新型爆弾」に対する日本政府の抗議文 ▼内外メディアの報道 ▼ファーレル准将の記者会見と残留放射能 否定声明 ▼布かれたプレスコード ▼認知されていた放射性物質の特性 第二節 米国の原爆医学情報収集 ▼マンハッタン工兵管区調査団の調査報告とコンプトン博士の報告 ▼ウォーレン大佐らの初動調査――上空で爆発すれば安全≠ニいう見解 ▼米軍合同 調査団と米戦略爆撃調査団 ▼米軍病理学研究所に保管された医学情報とGHQの報道検閲 ▼原爆傷害調査委員会(ABCC)の発足と目的 ▼米軍病 理学研究所の移転と再編成 【第二章】一九四〇年代後半の原爆情報統制  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 第一節 クロスロード作戦の放射能安全対策 ▼動物実験への抗議に対するグローブズ少将の見解 ▼「人々の犠牲」を前提にした安全基準 第二節 原爆医学情報の公開 ▼映画『原子兵器の効果』と、「その雨は泥によって黒い」と指示したパーカー中佐 ▼米原子力委員会(AEC)の発足と「人体への放射線の影響」の公表 ▼原爆投下に積極的な意味付けがなされた一九四七年 ▼広島・長崎の放射能被害を改めて否定したウォーレン 第三節 占領下日本における原爆報道 ▼原爆症に関するさまざまな記事の登場 ▼ABCCの調査結果公表と『アサヒグラフ』の原爆特集号発行 【第三章】連邦民間防衛局の発足とその原爆対策  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 第一節 一九五一年一月の連邦民間防衛局発足 ▼JCAE民間防衛グループの説明とABCCの調査継続 ▼民間防衛対策マニュアル『原子兵器の効果』 ▼FCDA(連邦民間防衛局)の発足 第二節 民間防衛計画の展開 ▼「アラート・アメリカ巡回展示」と広報パンフレット ▼米国民の意識 ▼「効率的な復旧」という民間防衛の目的――『航空戦争と心理的ストレス』を めぐって 第三節 占領期における日本の原爆展 ▼核の保有と広島・長崎への原爆投下に関する日米の国民意識 ▼占領期には大差のなかった日米国民の原爆観 ▼綜合原爆展 ▼「綜合原爆展」と「ア ラート・アメリカ巡回展示」の違い 【第四章】一九五四年ビキニ核実験とその後の民間防衛計画  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 第一節 一九五四年の水爆実験とその波紋 ▼第五福竜丸の被災 ▼米原子力委員会ストローズ委員長の声明 ▼アリソン駐日米大使の証言と日本への補償提案 ▼米国の情報独占を切り崩した「俊 鶻丸」の調査 ▼見舞金による完全決着 ▼放射線物質の影響と利用に関する日米会議 ▼マグロ調査打ち切り ▼日米の政治決着で封印されてきた事 実と責任 ▼放置されたままの潜在的被ばく者の存在 第二節 米国政府による被ばく者に関する研究と核実験 ▼プロジェクト四・一と塗り変えられる降灰範囲 ▼中止されたチェリオット計画――「きれいな爆弾」実験計画 第三節 民間防衛計画に見る放射性降下物対策 ▼「キュー作戦」での民間防衛訓練 【終 章】封印されたヒロシマ・ナガサキ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ▼軽視された残留放射線・放射性降下物の危険性 ▼放射性降下物論争――ラルフ・ラップの警告とストローズの辞任 ▼核軍拡の論拠にされた核抑止論 ▼アイゼンハワー政権下での放射線被ばく防護行政 ▼広島・長崎後の被ばくの実態 【付 録】 関連年表 1942〜2007年 文献目録 註 釈 史 料 【おわりに】 【索 引】 |
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