「昭和」が終わってから、すでに二〇年を経た。二〇年という年月は、振り返ってみれば、一九二六年に「昭和」が始まってから、一九四五年の敗戦までと同
じ年数ということになる。
このことに特別な意味を求めるわけではないが、私には「昭和」に入ってからの「二〇年」と、「平成」に入ってからの「二〇年」とに、何かしら似通ったも
のを感じてしまう。敗戦から「昭和」が終わるまで、いくつかの試行錯誤を繰り返しながら、ともかく日本は大筋では平和と安定を求め、それを実現してきたよ
うに思う。しかしながら、「昭和」が終わって、時代の記憶が遠くなればなるほど、戦争と混乱の時代であった昭和史が様相を変えて再生しつつあるのではない
かと思われてならない。
敗戦から「平成」まで、昭和の痛苦の体験が正面から語られ、教訓となって受け継がれてきた。こうした歴史を学ぶことが平和と安定を創り出す力になってい
たはずだ。しかし昨今、歴史の体験と教訓が人々の記憶から薄らいでいると感じている人が少なくない。だが、問題は、どのように薄らいでいるのか、なぜ薄ら
いでしまうのか、ということではないか。
本書では、戦後の社会と日本人の認識のなかに、いつのまにか刻み込まれてしまった――誤解を恐れずに言えば――誤った昭和史観を指摘することで、いまい
ちど、「昭和」と「平成」の二つの「二〇年」を読みなおしてみたい。その根底には、この二つの「二〇年」が水面下で強くつながっているのではないか、とい
う私の仮説がある。もちろん、自分自身の昭和史の捉え方が全く正しいなどと思っているわけではない。歴史には多様な見方や読み方があり、それゆえに歴史論
争が起き、歴史への接近が図られる。私のように、「昭和」冒頭の二〇年と「平成」の二〇年の類似性を読み取り、そこにある種の危うさを強調しようとする者
もあれば、異質性を踏まえることで、戦後の――また「平成」の――安定と成長を評価する見解も、別種の見方として成り立つだろう。なかにはまだ二〇年しか
経っていない「平成」を歴史評価の対象にすることに、とまどいを感じる人もあるかもしれない。
だが敗戦後の日本では、日本の植民地支配を正当化し免罪符を得ようとする、「植民地近代化論」とでも言うべき歴史観が培われてきたと指摘できる。問題
は、なぜ歴史事実を無視してまで、植民地支配を正当化しようとするのかだ。再び植民地支配をあえてしようとするわけではなくても、こうした正当化からは、
植民地支配責任論がかき消されてしまい、最終的には「植民地支配」という歴史事実そのものの否定につながりかねない。
また、戦後一貫して流布され続け、今も多くの日本人を捉えている、いわゆる「聖断論」にしても、歴史事実とは別の次元で、ある種の政治的な役割を果たし
てきたことは確かである。裕仁天皇によって始められたあの戦争が、同じ裕仁天皇の「聖断」によって止められたという説明をもって、戦争の責任の所在があい
まいにされてしまったことを私たちは知っている。「聖断論」は、裕仁天皇の戦争責任をぼかし、天皇周辺の、東條英機[一八八四〜一九四八年。A級戦犯]を
筆頭とする軍事官僚たちを主たる戦争責任者とした。「聖断」がなければ新たな日本の出発がなかったかのような「聖断論」によって、戦前の権力構造がそのま
ま戦後へスライドし、同時に戦前保守は装いを新たにして戦後保守へと再生していった。
ところが、その歴史過程が「聖断論」という弾幕に覆われていたために、戦後保守の実体が私たちの視界に入ってこなかったのである。「昭和」が終わる頃
に、その弾幕が薄れて戦後保守の実体が見え始めたとき、私たちの前にあったのは、軍事(有事)法制の整備であり、そしてからくも戦後日本民主主義を担保し
てきた日本国憲法の見直し論であった。同時に、「平成」になって、東條英機の盟友であった岸信介[一八九六〜一九八七年。A級戦犯]が再評価されるに至
る。そのきっかけは、岸を外祖父に持つ安倍晋三が一躍首相に就いた二〇〇六年九月あたりからであろう。因みに、岸信介は山口県吉敷郡山口町(現在の山口
市)の佐藤家の次男として出生し、中学三年の時に婿養子であった父の実家である岸家の養子となった。その岸の娘が安倍晋三の父である安倍晋太郎[一九二四
〜九一年。外相]に嫁いだ。安倍晋三は、それより以前から拉致問題に絡む対北朝鮮外交における強硬発言で頭角を現しつつあり、自民党内のプリンス≠ニし
て世論やマスコミの注目を集め始めていた。その安倍は尊敬する政治家として外祖父の岸信介を事あるごとに口にしていたのである。
また、「靖国問題」あるいは「靖国思想」として語られる「靖国公式参拝」が社会・外交の問題となる。開戦時の商工相・岸信介は占領が終わると復権して首
相まで上り詰めた官僚出身の政治家であり、また靖国神社への政治家たちの参拝は、戦後まもなく再開されていた。これらは特段、「平成」になって問題化した
わけではない。しかし、「平成」になって、岸信介の再評価が浮上し、靖国神社参拝が社会問題化したのは、これらが二つの「二〇年」をつなぐ媒体のような役
割を担っているためであり、今後とも内外の大きな批判を呼ぶだろう。
本書では、「昭和史」と「平成史」を同時的に捉えることによって、二つの「二〇年」をつなぐ歴史事実を検討する。「昭和の二〇年」に繰り返された戦争と
混乱の歴史を繰り返さないためにも、今いちど二つの「二〇年」を捉えなおしてみたい。
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