まえがき ____________________________ 序章 ドキュメンタリーは映像表現による現実批判である  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ______________ 第1章 暮らしながら撮る  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、暮らすことで関係が変わる――撮る側・撮られる側のダイナミズム 二、ロバート・フラハティ――ドキュメンタリーの始祖 1[作品論] 〈暮らしながら撮る〉映画の誕生 『極北のナヌーク』 2[作家論] 共に暮らすことで生まれる人間の輝き 三、小川紳介――スタッフと共同生活を続けながら撮る 1[作品論] 移り住むことではじめて見える〈村の時間〉 『三里塚・辺田部落』 2[作家論] 「まれびと」として虚実の皮膜を剥ぐ 小川プロダクション __________________ 第2章 言葉と別の意味を生む映像  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、映像と言葉の対立を利用する――映像の多元性と言葉の一元性 二、チャン・ヴァン・トゥイ――ベトナムの諧謔精神 1[作品論] 人倫道徳を説くふりをした辛辣な社会批評 『思いやりの話』 2[作家論] 〈虚実の境目〉を曖昧にするナレーションの妙味 三、亀井文夫――国策を逆手にとる編集の妙手 1[作品論] 戦意高揚映画を反戦映画にする 『戦ふ兵隊』 2[作品論] 漂泊の俳人を農民詩人に仕立てる 『小林一茶』 3[作家論] 屈折した粘着性のモンタージュ _____________________ 第3章 他者の眼差しと撮られる側の戸惑い  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、他者の眼差しで異文化を見つめる――異邦人によって浮き彫りにされる「私の東京」 二、クリス・マルケル――七つの顔をもつ男 1[作品論] 七つの眼差しが映し出す多面体、トーキョー『サン・ソレイユ』 2[作家論] 見慣れた街が見知らぬ都市に映る 三、ヴィム・ヴェンダース――国籍不明の映画監督 1[作品論] 映画の中のトーキョーと現実の東京との落差 『東京画』 2[作家論] 国籍離脱者の虚ろな眼差し _______________ 第4章 私的小宇宙の広がり  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、「私」を凝視することで世界に通じる――時間の熟成作用と映画言語の発見 二、ジョナス・メカス――「私」を見つめる抒情詩人 1[作品論] 二七年ぶりの帰郷を撮った日記映画 『リトアニアへの旅の追憶』 2[作家論] 〈映像〉の距離感、〈声〉の密着度 三、福田克彦――小川プロを離れた個人映画作家 1[作品論] 老女の一人語りを独りで撮った自伝映画 『草とり草紙』 2[作家論] 集団から個へ 現実と虚構のあわいにゆれる _________________ 第5章 観察者 言葉からの解放  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、観察者に徹する――観客の中に生まれる批判的視点 二、フレデリック・ワイズマン――聞き耳をたてる観察者 1[作品論] 二〇世紀のアメリカを映す鏡 『メイン州ベルファスト』 2[作家論] 録音機を携えて撮影現場で空気になる 三、野田真吉――意義を押しつけない自主映画 1[作品論] 陶酔を誘うダイレクト・シネマ 〈民俗神事芸能三部作〉『冬の夜の神々の宴 遠山の霜月祭』『ゆきははなである 新野の雪まつり』『生者 と死者のかよい路 新野の盆おどり・神送りの行事』 2[作家論] 祭りの崩壊を見つめる鷹揚な眼差し ______________________ 第6章 挑発者 暴力装置としてのキャメラ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、キャメラが現実を変える――作家主体の確立 二、ロバート・クレーマー――キャメラを廻す随伴者 1[作品論] アメリカの痛みに寄り添う映画 『ルート1』 2[作家論] 映画は世界の痛みとどこまで共に生きられるか 三、大島渚――加害者としてのキャメラ 1[作品論] 戦後日本の被害者意識を斬る 『忘れられた皇軍』 2[作家論] 作家主体をもたぬディレクターは頽廃する ______________________ 第7章 時代の無意識 メディアの読みかえ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、時代の無意識を抽出するアーカイヴ・ドキュメンタリー 二、ケビン・ラファティほか――核戦略の虚妄を笑いとばすパロディ精神 『アトミック・カフェ』 三、土本典昭――新聞記事だけを映像素材に、原子力政策の矛盾を衝く 『原発切抜帖』 _________________________ 第8章 イメージの収奪 〈見る〉ことの権力構造  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 一、収奪される側からの反撃――観光・民族学・審美主義に潜むヒエラルキー 二、ヴィクター・マサエスヴァ――ハリウッドの良心に潜む欺瞞を暴く 『イマジニング・インディアン』 三、トリン・T・ミンハ――真なることへの批判精神 『ルアッサンブラージュ』 ●引用・参考文献 ●ドキュメンタリー映画・関連年表 ●人名索引 |
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