一九九五年の米兵による少女暴行事件が引き金となって発足した沖縄米軍基地所在市町村活性化特別事業(通称・島田懇談会事業)。同事業で予算総額の四分の一近い二〇〇億円余に上る巨額の国庫配分を受けた沖縄県嘉手納町は、町の命運を懸け、九六年から町中心部の再開発事業に着手、二〇〇八年に完了した。核となる再開発ビルには那覇市から移転した防衛省の地方機関「沖縄防衛局」が入居、〇九年四月で移転から満一年を迎えた。
これを機に、「国策のまちおこし」ともいえるビッグ・プロジェクトの足跡を政府や町関係者らの証言と内部資料でたどり、「自治と国益」のはざまで推し進められた再開発や防衛局移転が、嘉手納町をどう変えつつあるのかを探った。
極東最大の米空軍嘉手納基地などを抱える嘉手納町は、町域面積の八三%を基地に侵食された「極限のまち」だ。在日米軍専用施設の七五%が集中する「基地の島・沖縄」の市町村の中でも、米軍基地が占める比率はずば抜けて大きい。嘉手納町は基地との共存を余儀なくされている沖縄の縮図でもある。
異例尽くめの再開発事業は、町の苦悩を背負う宮城篤実町長はじめ関係者の情熱や思惑、恩讐が錯綜し、悲喜こもごものドラマを生んだ。そこには、これまでの「新聞記事」では拾いきれていなかった、個々の人生観や職業人としてのこだわりが彩を放ち、生き生きと宿っている。そうしたむきだしの「人間性」も、なるべく赤裸々に浮かぶよう心掛けた。
また、本書は「虫の目」で嘉手納町の再開発事業と防衛局移転の経緯を追いながら、同時に「鳥の目」で、時代を取り巻く状況とともに変遷する政府の沖縄政策を俯瞰するスタイルを意識した。
総額一〇〇〇億円規模の予算支出を念頭に遂行された島田懇談会事業は、沖縄の基地所在市町村を対象に、国がピンポイントで振興策を配分するシステムを確立し、その後の政府の基地政策の分岐となった。これは露骨な「アメとムチ」政策である米軍再編交付金など現在に至る防衛省の基地政策に発展させるヒントを政府に与えたのみならず、国が補助金で揺さぶりをかけつつ、基地問題のターゲットとなる市町村行政に直接介入していく先例にもなった。
「沖縄問題」が全国の焦点となった九五年以降の系譜を、政府や自治体関係者、住民の視点を交え、丹念にたどることで、税金の「ばらまき」による政府の米軍基地政策の限界と問題点を浮き彫りにするのも本書の狙いだ。さらに、こうした曲折を「自治」の観点からひもとくことで、十数年余を経た今、沖縄が「得たもの」と「失ったもの」は何なのか、それは「本土」との関係をどう変えつつあるのかを提示したい。
結論からいえば、基地の維持を前提にどれだけ巨額の国庫を引き出しても、住民が行政任せの体質に染まってしまえば、「自治」や「協働」に欠かせないマンパワーは育たず、自治体の真の活性化にはつながらない。このことは、安定的な安全保障政策の継続、税金の効率的運用という政策観点からも不合理であることを問題提起したつもりだ。それによって政府、基地所在自治体の双方に政策、思考の転換を迫る意図もある。
とはいえ、沖縄が「基地」と「特例」を抜きに自立できる見通しは暗い。それでも、時代はこれ以上、「現状肯定」を許さない臨界点にさしかかっている。沖縄そして「安保の負担」を軽視してきた本土にとって、試練のときが近づいている。
本書は、「沖縄タイムス」紙で二〇〇九年三月一日〜七月一八日まで計八〇回にわたって連載した〈「国策のまちおこし」〜防衛局移転の真相〜〉を加筆・修正し、再構成した。なお、本文の肩書などは当時、敬称は略している。
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