国際社会が激動期を迎えている今、本書を通じて日本のみなさんと心通わせる機会を得たことは、フィリピン人としてこの上ない喜びです。ポスト9・11時代にあって、世界各地は「民衆の春」を迎えて希望と高揚感に満ちDれ、人々の可能性と活躍の場は広がり、新たな課題とチャンスも増えつつあります。
私たちフィリピン人は第二次世界大戦中の日本軍国主義の侵略によって心に深い傷を負いましたが、その一方で、日本の侵略に先立つ数十年間に、米国が軍事力とソフトパワーを自在に操りながら巧妙な総力戦を仕掛けて、フィリピンの町や村や人間を荒廃させたことは忘れ去られています。戦後、米国はその覇権主義的権力を本格的に行使して、フィリピンに対する経済的・軍事的支配を拡大しました。これと同様の出来事は、敗戦直後の日本でも起きました。すなわち、日本領土内に広大な土地を占拠する米軍基地施設の設置が強要されたのです。フィリピンも日本と同様に、米国の防衛戦略の要とされて、旧ソビエト連邦や中国などの近隣国に対する米国による封じ込め政策の一翼を担い、米国が世界侵略を目指して前方展開するための人質となりました。具体的には、米国が軍事物資を事前集積して海空で迅速に展開できるようにし、さらに核兵器を配備するための足掛かりとされました。フィリピンと日本は、米国が核兵器を海外配備する干渉主義的軍事拠点となったのです。こうして、フィリピンと日本はともに冷戦時代・ポスト冷戦時代を通じて外国軍隊のプレゼンスを経験してきたわけですが、そのために被った影響は悲惨なものでした。国土の収奪、女性に対する性的搾取や虐待、内政干渉、自国の法律に対する軽視・無視、環境や自然の破壊は、外国の軍事基地が領土内に存在し、外国の軍事活動が領土内で行われているがために引き起こされたものです。
私が最初に日本を訪れたのは一九八一年、世界平和と非武装・核軍縮を目指す宗教指導者たちが東京で開催した国際会議に講演者として招かれたときでした。以来三〇年、私はたびたび日本に招かれて、地方自治体、主要政党、労働組合、学究機関での講演はもとより、日本本土と沖縄で反基地・反核運動をしている人を前に講演してきました。こうして私が日本を訪問したり、日本から平和派遣団がフィリピンを訪れて現地調査をするようになったことで、日本と沖縄のために平和運動を展開している人々と交流して団結を強める活動は、私にとってほとんど年中行事となったのです。私が最も活発に日本と沖縄の平和運動と交流した時期は、大田昌秀氏が沖縄県知事だった一九九〇年代でしょう。一九九四年、私は大田氏と沖縄県庁の知事執務室で長時間にわたって面談して、いかにしてフィリピン国民が一九九一年九月一六日に米軍基地を解体する政治的決断を下したか、またその結果、外国軍隊がフィリピンの国土を占拠していた痕跡を、いかにして一九九二年一一月までに完全に取り除いたかについて語りました。私の提言に基づき、大田氏は一九九五年に自ら視察団(沖縄県庁職員、基地労働組合職員、反基地運動家)を率いてフィリピンに来訪され、フィリピン国民が米軍基地を解体して、経済発展のための非軍事的で安全な商業施設への転用を目指している手法を実地に検分しました。そのとき、私は悟ったのです――「基地後」を生きているフィリピン人の経験は、日本と沖縄の民衆の闘いにとって大いに参考となり、沖縄の反基地運動にも貢献できるだろうと――。
フィリピンと日本は、第二次世界大戦後のアジア太平洋地域における米国の軍事支配の拠点とされてきた長い歴史を共有しています。米国の目的は、冷戦時代・ポスト冷戦時代を通じて、この地域における米国の軍事的優位を再三にわたって主張・強化することです。その犠牲となったのが比日両国民でした。結果として比日両国の主権は、大きく侵害されています。海外派遣米軍のために修理・保守点検、補給などの役務を提供させられているばかりか、米兵の志気確保のために自国の婦女子が性的虐待や搾取の犠牲となり、自国の軍隊は事実上、米国が行う介入戦争の手先となってしまいました。核武装した米艦船の寄港は、比日両国民の感情と両国の平和憲法を根底から踏みにじっています。それでも、女性や子どもが性的虐待を受けるようなセンセーショナルな事件が起きるたびに、それがきっかけとなって社会全体が憤り、米軍基地の将来が盛んに論じられてきました。そして草の根レベルの市民運動が始まり、今日では日本とフィリピンは、広範な反基地・反核運動の経験を共有していると言っていいでしょう。特に日本の女性は、フィリピンの女性と同様、米国の軍事的プレゼンスに反対する運動で重要な役割を果たしています。
日本国内の米軍基地は、かつてフィリピンに存在した米軍基地と同様、米国が朝鮮半島・ベトナム・中東などへ軍事力を投射するための足掛かりとなってきました。一九九一年九月、フィリピン上院が比米基地協定の終了を決定したのを受けて、米軍基地がフィリピンから撤去されたという歴史的事件は、冷戦後のアジア太平洋地域において米国が覇権を維持するための軍事インフラに大打撃を与えると同時に、フィリピンの反基地・反核運動にとって大勝利でした。米国はこの敗北に対応するために、米軍の一部をフィリピンから沖縄および日本本土に移して、アジア太平洋地域における米国の干渉主義的軍事力の中核としたのです。
フィリピンと日本それぞれの領土内に外国の軍隊と基地が存在していることが、両国の市民運動を、国境と海を越えて結びつけました。その団結によって、帝国主義戦争と世界の核武装化・軍事化に反対する新たなインターナショナリズムが醸成されたのです。フィリピンと日本は共に、自国の領土内に存在する干渉主義的な米軍基地とその軍事力に対抗する大衆運動を展開してきました。世界の民衆の支持の下、私たちは今や政治的・社会的・文化的な違いを越えて、お互いの問題を理解し合っています。両国の反基地運動は多くの可能性を秘めています。互いの連帯を深めれば、アジア太平洋における米国の軍事支配の土台を突き崩すことも不可能ではありません。米国が軍事介入と核戦争を実行するためのインフラを私たちの領土から撤去させることに成功すれば、ともすれば戦争に訴えようとする勢力を完全に排除できないまでも、彼らを弱体化させることはできるでしょう。拙著の日本語版は、問題に立ち向かい、大衆の勝利を目指してともに闘ってきた経験を共有しようとする、私なりの貢献なのです。
日本はかつて軍国主義者に率いられて、多くのアジア諸国から恐れられる侵略者となり、史上初めて核攻撃の標的となりました。その日本が世界平和と核軍縮の中心地となり、平和を推進する不屈の闘いの中心となったことに、私は長年、敬意を抱いてきました。その日本で拙著が出版されることによって、米軍基地と核兵器を撤去させたフィリピン国民の経験を日本国民と共有し、フィリピン国民がいかにして勝利を収め、旧米軍基地を工業と商業の中心地に転換したかを伝えることができると考えます。
私は母国フィリピンを軍国主義の災厄から解放するためだけではなく、世界的な平和を求める闘いのために学究に携わっているのです。 |