沖縄同時代史・書評



「自分の原点」忘れず、現実見つめ思考築く』
――40年にわたる「定点観測」/新崎盛暉氏『沖縄同時代史・全10巻』完結

『沖縄タイムス』(2004年4月7日)

●評者:屋嘉比 収(沖縄大学助教授)

 新崎盛暉氏の沖縄同時代史・第10巻『新たな思想は創れるか』(凱風社)が発刊された。これにより、沖縄同時代史シリーズは完結し、一つの区切りを付けるという。

 その沖縄同時代史・全10巻は、沖縄が復帰した翌年の1973年から今日にいたるまで、沖縄をめぐる30年間の重要な出来事のほとんどが論及されている(しかも、新崎氏の最初の著書からすると、実に40年間にわたって沖縄を論じ続けたことになる)。その収録された327項目の文章(補論を含む)を読むと、沖縄に関するさまざまな出来事からけして目をそらすことなく、すべて正面から批判的に論述しているのがわかる。

 何よりもまず、その持続的な営為に感嘆する。

 沖縄に限らず、一つの地域社会を、40年間にわたって、同時代史の「定点観測」として継続的に報告した事例を、私は寡聞にして知らない。それだけでも、特筆すべき偉業だと、言えるのではないか。

 さらに、多くの方々が共感するのは、その持続的営為とともに、沖縄問題への新崎氏の発言と社会的実践が首尾一貫している点だ。その言動は、基地問題に対する批判や住民運動への積極的参加において、他者の追随を許さない。

 しかし、今回、あらためて沖縄同時代史全10巻を読み直してみて、新崎氏の言論の意義をそれだけで評価するのは十分ではないという印象をもった。

 私たちは、新崎氏の一貫した発言や社会的実践の印象があまりにも強いために、その立論の別の側面を見落としているのではなかろうか。むしろ、その立論の特徴は、次の点にあるように思われる。

 それは、中野好夫氏から受け継いだ、新崎氏の「現実主義」者としての姿勢だ。

 かつて中野氏は、現実主義には、事態を冷静公平に直視し批判実証的に対応するあり方と、理想に拘泥せず自前の既成事実へ追従順応する、二つの側面があると指摘したことがある。

 新崎氏が、その中野氏から受け継いだ現実主義は、前者の、いわば「批判実証的現実主義」とでも呼ぶべきものだ。その現実主義と、近年沖縄の中で言われている「利害打算的な追従順応主義」としての「現実的対応」とが、似て非なるものであることは論をまたない。

 新崎氏の批判実証的現実主義の姿勢は、CTP建設に反対する琉球弧の住民運動、基地の強制使用に反対する一坪反戦運動、韓国の市民運動との連携を広げた平和市民連絡会などの運動に一貫して貫かれている。

 したがって、沖縄の現実の課題を一つずつどう解決するかと発言行動し続けた新崎氏の姿勢を、その持続的営為と首尾一貫した姿勢だけで評価するのは不十分なのだ。私は、一貫した姿勢の基盤にある、現実を前にその時々の揺れを自省し、批判実証的に積み上げる態度にこそ、あらためて注目したい。

 例えば、それは4巻に収録されている、宮良ルリさんへの自らの発言を再考した文章と、国体常任委員の辞任表明文に如実に表れている。新崎氏は以前、ひめゆり学徒である宮良さんが皇太子を案内したことに批判的な文章を書いたが、その後宮良さんからひめゆり体験を一人でも多くの人々に伝えるのが自分の務めだと言われ、先の文書を次のように再考している。

 「わたしは、こういう文を書いたことを何か後悔するような気分にもなった。だが、人間の善意や誠実さをまるごと利用してしまうのが権力である」

 新崎氏の主張が、その引用文の後半にあるのは言うまでもない。だが、宮良さんの発言から「後悔」した自分の気持ちの揺れを率直に記した著者の姿勢を、私は重く受けとめたい。

 あの新崎盛暉だって、自分の発言に後悔し揺れるのだ。その後悔や揺れが、権力を批判する主張を弱めるのではなく、批判を支えて強固なものにする。

 さらに新崎氏は、自らの言論の姿勢において、その揺れを許容しつつも、「自分の原点」や「生産点」を常に問い、それをけして手放さない。

 その「自分の原点」を手放さない姿勢は、違和感を持ちつつも学長職ゆえに委嘱された国体常任委員を、国体の政治利用が域を越えたため辞任を表明した文章に端的に示されている。

 本人も言うように、学長職に就くと一般的に運動の現場から離れていくのだが、この時も「自分の原点」を手放さず、自らの信念に基づいて委員を辞任することで対処した。

 この辞任表明文は、人の考えは変わっていくとの一般論によって、なし崩しの転向が容認されつつある現在の沖縄だからこそ、繰り返し読まれるべき文章だといえよう。

 このように、沖縄同時代史全10巻の文章には、一つの理念から現実を裁断するのではなく、現実の問題に批判実証的に対応する「現実主義」から、自らの考えを構築していく過程が見事に記述されている。

 そして、現実の課題と格闘しながら、権力をもたない社会的弱者の位置に寄り添って、具体的に発言し行動していく姿勢において一貫している。

 現実が動かないから既成事実に追従順応するのではなく、現実そのものを「公正平等な共生社会」という新たな現実に創り変えることが説かれている。

 著者の言う「新たな思想は創れるか」という問いかけに、私たちはどうこたえることができるだろうか。それは今後の宿題だが、少なくとも新崎氏の著書が示している、揺れや後悔を許容しながら、戦争を拒否する沖縄の原点だけは、けして手放さないという自覚から始めたいと思う。

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新たな思想は創れるか


沖縄同時代史第10巻『新たな思想は創れるか』

『琉球新報』(2004年3月21日)

●評者:高嶺朝一(琉球新報論説委員長)

 金武湾の石油備蓄基地反対、反戦地主の集会、嘉手納基地包囲の人間の鎖の輪、基地や戦争反対のデモの中に必ずと言っていいほど著者の姿を見ることができた。

 大学の研究室ではなく、大衆運動の現場から時代を見る著者の姿勢はいまも変わっていない。

 日本の民衆が政治的に高揚していた一九六〇年代、学生や知識人の心をとらえた「アンガージュマン」(政治、社会参加)という言葉が、時代が変わっても著者には似合う。

 この本は、著者の「沖縄同時代史シリーズ」の第十巻である。米国にブッシュ政権が誕生、「9・11以降、人類が破滅への道を突き進み始めたかのように絶望感を感じさせるものがあった」時期に新聞、雑誌、専門誌に発表した論文、批評などを収録している。

 第一巻の「世替わりの渦のなかで」からこの本まで、あらためて十巻を通して読むと、沖縄の大衆運動が高揚、挫折、低迷を循環するなかで、著者の気持ちも楽観と悲観の間を振り子のように揺れているようすが読み取れる。

 特に第十巻の時期は、著者を悲観的にしたようだ。「日本そして沖縄は、新しい時代の変化に立ち遅れている。イラク攻撃反対運動も、ヨーロッパ諸国や韓国に比べて、著しく盛り上がりを欠いていた」と見る。

 「日本がイラクの軍事支配や朝鮮半島情勢に果たしている役割を考えると、そして沖縄が、少なくとも行政レベルでは経済的代償とセットになった軍事基地受け入れを容認し続けていることを考えると、われわれには、沈黙することも、絶望することも赦されない」。

 「ベトナム反戦運動は、サイゴンのアメリカ大使館に対する捨て身の攻撃をテロと呼ぶことはなかった。非暴力の反戦運動が強力な力を持ちえたのは、民衆の武装解放闘争に限りない連帯感を持ちえたからではなかったか」と問い掛ける。

 同時代シリーズはこの巻で終わるという。著者は近く、沖縄大学学長を退く。「社会運動家の肩書で書いてみたい」とも話している。このシリーズが社会運動家の肩書で書き続けられることを期待する。

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新たな思想は創れるか


インタビュー/新崎盛暉氏に聞く――「沖縄同時代史」終刊

『琉球新報』(2004年3月19日)

●聞き手:文化部・米倉外昭

 沖縄大学学長の新崎盛暉さんが一九九二年から刊行を続けてきた『沖縄同時代史』(凱風社)が、このほど出版された第十巻をもって終刊となる。学長の任期を終え、今度は名誉教授として大学とかかわり、運動の現場でも第一線は後の世代に引き継ぎたいと言う。米英のイラク攻撃が始まって一年になる今、世界と沖縄の状況に対する思いも聞いた。

一線から二線へ

 ――なぜ、今、終刊なのか。

 「十巻は数の切れ目でもあるが、時代の変化の中仕切りではないかと思っている。二〇〇一年にブッシュ大統領、イスラエルのシャロン首相、小泉首相が登場し、そして9・11があった。世界に他に対抗する者のない巨大な暴力装置を持った国が世界を地獄に引きずり込もうとしている。しかし、それに対抗する動きが国連や世界的な反対運動として現れた。戦争は食い止められなかったが、変化はある。ここで時代が一つ変わるだろう。そういう意味で中仕切りだ」

 ――学長も退く。

 「学長は連続二期まではできるのだが、基本的には自分の年齢を考えた。もう、六十八だし、もう一期きちんとやりきれるかなあと、いささか自信がなかった。活動の重要な部分として、物書きとして自分を位置付けてきた。物書きとしても、続けてきた仕事を一つ一つどこかで区切りをつけていきたい。体力とかいろんなことを考えながらだ。これで人生が終わりというわけではないので、生き方を変えるつもりはない」

 「運動も徐々に、先頭に立つ立場から、後ろから支える立場へ変わっていきたいと思う。平和市民連絡会にも一坪反戦地主会にも顧問にしてほしいと言っているが、代表をやめさせてくれない。全体を少しずつ締めくくって少しずつ後ろに引いていこうと思う」

絶望はゆるされない

 ――昨年十一月に那覇で開かれた国際会議で、沖縄が基地を受け入れている現実から「私たちは絶望する資格もない」と発言し、今回の本でも「われわれには、沈黙することも、絶望することも赦されない」と強調している。

 「確かに今の心境でもある。9・11の後、これから行き着く先は地獄しかないというような絶望感があった。それでは私たちはどうするのか。黙って地獄に道連れになるのではなく、例え道連れにされるとしても、異議申し立てをし続けるしかないだろうと思った」

 「湾岸戦争では国連安保理が武力行使を容認した。しかし、今回はドイツ、フランスや途上国の抵抗でできなかった。背後に国境を超えた一千万人のデモがあったし、イラク、パレスチナの占領支配に対する抵抗も、本質的には民衆のレジスタンスだ。人間的民族的誇りを捨てない人たちがいて、現実の政治を動かしている。私たちは日米同盟を非暴力的に打破できるはずだ。絶望しているわけにはいかない」

 「イラクでの大規模戦闘終結宣言の段階で、アメリカは既にシリア、イランをどう喝していた。しかし、それ以上のことをできなくしたのは、膨大な犠牲を払いながら闘っている人たちだ。戦火が朝鮮半島に飛び火しなかった最大の要因もそれだと思っている。六カ国協議が始まったのは、米国の政策変更の結果だ。イラクでとん挫したからだ」

武装解放闘争に連帯

 ――非暴力主義について「武装闘争の単なる否定ではなく、武装解放闘争に共鳴、連帯しつつ、同時に競い合ってそれを乗り越えるところに意義がある」という指摘で本書を締めくくっている。

 「イラク民衆のレジスタンスがアメリカの暴力的世界支配を阻止してきている。民衆を巻き添えにする自爆攻撃に対して反感を持つのは当然だが、誰が攻撃しているのか必ずしもはっきりしていない。内部対立に起因するとばかりは言えない。違和感、反感も表明しながら、背後にあるものを見ないといけない。フセインの独裁が長続きしたのは、アメリカの後押しがあったからだ。経済制裁をしなければフセインの独裁はもっと早く崩壊しただろう」

 「そういうことを見据えつつ、私たちは何をしなければならないのかを考えなければならない。先制攻撃や占領支配を追認することは、イラク危機、朝鮮危機に加担していることになる。日、英がアメリカに協力しなければアメリカは孤立する。支えている日本の政権を否定する私たちの力が強くならなければならない。イラクやパレスチナでは、武力も使って巨大な暴力に抵抗している。彼らは、抵抗しなければ巨大な暴力に支配される。私たちは、非暴力運動によって、彼らの武装闘争を不要にすることができる」

 ――第十巻のタイトルを「新たな思想は創れるか」としている。

 「疑問形で止めている。東西冷戦後、旧来の価値観は通用しなくなっている。新たな思想を創っていくのは、ぼくたちより世代的には若い世代になっていかざるを得ない。沖縄でも少しずつ新しい人が出てきている。新しい理論や思想の担い手になってほしいという期待を込めたタイトルだ」

 「そんなに大きな希望はないかもしれない。しかし、まったく希望がないと言ってしまったら責任放棄だ。やはり、社会に対する働き掛けをしていく義務なり責任は残されている。主役ではないと自覚しながら、自分のポジションでやっていきたい」

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新たな思想は創れるか


『沖縄同時代史 第10巻●2001〜2003』
『出版ニュース』(2004年4月中旬号)「ブックガイド」

 沖縄戦後史研究者、社会運動家として反戦・平和運動に大きな役割を果たしてきた著者の発言記録集『沖縄同時代史』シリーズの第10巻にあたる。

 本書は、「9・11」テロからアメリカのイラク侵攻・占領という事態の中で、沖縄・日本のとるべき道を示す。「9・11」以降の状況で著者がもっとも絶望感を抱いたのは、〈「アメリカのイラク、日本の北朝鮮」といったヒステリックなナショナリズムが日米両国を覆った〉ことであり、主体的責任感覚と連帯感が希薄な日本人のあり様、沖縄の民衆運動の低迷であった。その一方で、冷戦期にはなかった民衆運動の国境を越えたつながり、反戦行動の盛り上がりが希望だと。こうした時代状況に沖縄から何を発信すべきか。著者は、74年に沖縄に移住して以来持ち続けてきた問題意識をベースに新たな価値観の創造を説く。行動する研究者の持続する志と現状への葛藤が伝わってくる時評集。

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新たな思想は創れるか



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