未完の沖縄闘争・書評


矛 盾や葛藤に目をそらさず

『沖縄タイムス』(2005年5月28日)


評者:我部聖・東京大学大学院博士課程

 本書は、昨年完結した『沖縄同時代史』の別巻として、著者が1962年から72年にかけて発表した論考と屋嘉比収氏の詳細な解説によって構成されてい る。

 この本で著者が「復帰運動」や「沖縄返還」をめぐる議論と格闘しながら、議論からこぼれ落ちていく「声」を拾い集めていることに強い共感をおぼえた。

 64年に「新崎暉夫」のペンネームで書かれた2本のルポルタージュは、取材で出会った人たちの「声」が響きあう臨場感あふれる作品だが、著者が戦争の記 憶と出会う場面は興味深い。

 「復帰焚き火大会」で辺土岬を訪れた新崎氏は、「闇に浮かぶ日の丸はち巻き」を見た瞬間、「辺土岬にいるのではなく、沖縄戦終焉の地、摩文仁の丘に立っ ているのではないか」と「錯覚」し、「女子青年団員」が立ち働く姿には映画『ひめゆりの塔』の場面を重ねて見たという。

 米軍占領に対抗するために沖縄戦を忘却して「日の丸」を掲げる復帰運動に違和感を抱いた著者は、「戦争のにおい」を意識しながら、戦中の日本軍・戦後の 米軍による伊江島の強制土地接収の歴史をたどり直していく。ここで重要なのは、55年3月13日に「銃剣をもった武装兵」によって土地接収が行われる2日 前に、真謝部落の人々が「戦争の記憶」を思い起こしながらつぶやいた「この苦しみにくらべると戦争は何でもなかった」という言葉である。

 この切実な言葉を聞いた瞬間、同じ思いをさせている辺野古の現場を想起するとともに、綿製品の輸出規制によって生活を脅かされる人々(戦争未亡人・母子 世帯・農家)や基地で働きながら「基地撤去」を主張する「全軍労」の苦悩の歴史が呼び戻された。このように本書を通じて、戦後沖縄を生きる人々の記憶とも 出会えるのである。

 また断片的な情報に潜む日米沖縄側の意図を批判的・実証的に分析する著者の視点は、情報が氾濫する今こそ重要だと思う。

 辺野古など現在「未完の沖縄闘争」の可能性を切り開いていくには、混沌とした「沖縄戦後史」の抱える矛盾や葛藤から目をそらさずに耳をすますことをこの 本は教えてくれるのである。

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未完の沖縄闘争



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