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『香港・広州 菜遊記』 『西日本新聞』(2003年2月23日) 多様な文化圏を抱える中国にあって、独特の言語と歴史を持つ香港・広東省の「食」から、人々の暮らしを眺める。食材は生きていることが新鮮さのあかし。スーパーよりも市場。食べることにこだわる生き方の裏側から立ち上がる香港・広州人の感覚がおもしろい。 ●本の内容を見る『香港・広州 菜遊記』 |
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『香港・広州 菜遊記』 『北海道新聞』(2003年2月16日) 多様な文化圏を抱える中国にあって、独特の言語と歴史を持つ香港・広東省の「食」から、人々の暮らしを眺める。食材は生きていることが新鮮さのあかし。スーパーよりも市場。食べることにこだわる生き方の裏側から立ち上がる香港・広州人の感覚がおもしろい。読めば、香港から北海道への観光客のもてなし方も変わるかも。 ●本の内容を見る『香港・広州 菜遊記』 |
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食文化がつたえる「粤のくに」 『アジア遊学』(51号、2003年5月5日、勉誠出版) ●評者:永倉百合子(実践女子大学) 私事になるが、自分も広州で生活したことがある。それゆえ、目次を見ただけでどれも懐かしく、作者をとらえた広東の魅力に一、一、「そうだ、そうだ」と納得してしまった次第だ。と同時に、このような本が書かれたことが本当に嬉しく感じられた。それは自分もまた広東の一粤のくにの人々と暮らしに大きな魅力を感じているからだけではない。この中国南端近くに栄える活きのいい文化を知ることによって、北京そして南へ下ってもせいぜい上海という範囲でとらえられがちな中国のイメージをぐっと広げてくれることになるのではないか、と考えるからなのである。「中国は広い」と誰もが言うが、それは一体どういうことなのかということになると、作者のようにそこでの暮らしに浸ってこそ理解しまた語れることなのではあるまいか。中国と言うと思い浮かべそうなマントウや餃子にしても、この地域ではそれほど重んじられているわけではないこと、ごく普通の庶民まで医食同源の知識をもち、異常なほどの熱心さで常に陰だ陽だ熱気だと言い、食材によってそのバランスをとろうとすること、そんな話の一つ一つが北方中心に考えられがちな中国のイメージを大きく広げてくれるに違いない。もう一つこの本から見えてくること、つまり作者が読者に教えてくれることは、広東と香港の深いつながりだ。今では『祖国復帰』を果たしたわけだが、社会主義体制と資本主義体制という二つの異なる制度の社会というイメージはいまだに強い。しかし実は広東と香港は実はずっと以前から生活レベルではしっかりとつながっているのも事実なのであり、水もで電気もヒトも野菜もブタも広東省と香港の間で絶えず激しく流れているのである。作者は香港映画《女人、四十。》を挙げているが、その主人公はトイレットを“大陸”から仕入れる仕事をしている。そこに中国大陸とつながる香港の姿を見たのは作者のすぐれた着眼点というべきだろう。私もまだこの地域がまったく別世界というイメージのあった八〇年代初め、香港の高級ホテルでは舶来のトイレットペーパーが使われているのに、トイレットペーパーがあっただけで幸運だと思われるような町の飯屋のトイレットペーパーが『中国製造』であるのを見た時、「なんだ、香港と中国はつながっているんだ」と新鮮な驚きを感じたことがある。この本ではそんな身近な話題から、テレビや雑誌などで紹介されるひどくお洒落な香港とは違う別の香港の姿をかいま見せてくれているように思う。 食文化を入口にしてそこからその社会の文化の諸相を探っていく、という方法はまさにこの地域にはうってつけの方法と言えよう。どの話題ひとつとっても、それで一冊の本が書けてしまえそうな内容を作者は手ぎわよくまとめ、親しみやすい口調で語ってくれている。その親しみやすい語り口と研究者としてのきちんとしたまとめた語り口が交互に表れるのも読んでいておもしろかった。希望を言うならば親しみやすい語り口で、もっともっと作者の体験した様々なことを披露して欲しいという気もする。また研究者としての作者には、南方の文化についてもっと多くのことを語って欲しくなるが、それは紙数を考えれば無責任な注文と言うべきか知れない。 一つ気付いたことは、枝葉末節なことで申し訳ないが「焼鶏」「焼鴨」などに付けられた日本語のルビは無くてもいいような気がした。カタカナで書かれた広東語だけで十分であり、日本語読みのわからない漢字というのもまたエキゾチックなものではないだろうか。また作者は佛山市に長年駐在されていたとのことであるが、この南方の地方都市についても、大都市とは違うであろう人々の暮らしなどもって語ってほしい気がした。そんな要望もあるが、全体的に眺めてみると作者の「粤のくにはこんな所だ、さあ見てくれ」という爽やかな心意気のようなものが感じられる本だ。 ●本の内容を見る『香港・広州 菜遊記』 |
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『香港・広州 菜遊記』 『WEEKLY HONG KONG』「週刊香港読書館」(2003年3月27日) ●評者:和仁廉夫 香港に足しげく通うようになった私の一番の役得は、香港の食事を楽しみ、その食文化に詳しくなることだ。友人に勧められるままに食べ続け、「日本肥仔」(ヤップンフェイチャイ)の愛称?まで頂戴する、典型的ニッポン中年ができあがりはしたが。 その私にとって、本書の内容は思わず膝を打つような話題の連続であった。広東・香港の中高年世代が松花堂弁当や懐石料理のような温かくない日本料理をありがたがらないこと。一方、若い世代には、回転寿司や日本料理店の急速な普及から、生ものを食べることに抵抗がなくなっていることなど、香港在住の読者であれば「ウンウン」とうなづける話題が次々と登場する。 本書のまな板にのるのはそれだけではない。筆者の守備範囲は飲茶はもとより、茶餐庁(中華風軽食堂)など、香港人の日常の胃袋を満たす食文化、さらにサソリ、ハクビシンなどの野味や、日本ではゲテモノ扱いされるカエル、蛇、イヌ料理にまで及ぶ。 かの名著、『菊と刀』の著者、ルース・ベネティクト女史でさえ机上で日本文化を論じた。だが日野女史の場合、実際に食した実体験に裏づけられているから、わがニッポンの文化人類学者の面目躍如である。 気に入ったのが、茶餐庁で「例湯」(ライトン、日替わりスープ)としてサービスに提供される大根と人参がたっぷり入ったスープを、大まじめに取り上げていること。さしずめ日本なら味噌汁にあたるのだろうが、おふくろの愛情のこもった老火湯(スープ)は、広東・香港の人々にとっては健康維持に不可欠なものとして息づいている。日本で薬膳とか医食同源などと聞くと、目玉が飛び出す高い請求書が突きつけられそうだが、本書ではなんの気取りもてらいも無く、生活の知恵としてあたりまえに論じられるのである。 本書は美食・飽食を尽くすための案内ではない。広東・香港に暮らし、彼らといっしょに食べながら考えた「食べる文化人類学」の書である。 ●本の内容を見る『香港・広州 菜遊記』 |
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