戦略爆撃の思想・書評


前田哲男著『戦略爆撃の思想』を読む
近代戦争の究極的な本質
過去の戦争が現在の戦争を用意し、
さらには未来の戦争を準備する


『図書新聞』2799号(06年11月25日)

一面

評者:纐纈厚(山口大学教授)

 大作は、言うならば心砕ける思いを私にいつも与えてくれる。久しぶりに、そんな大作に触れる機会を得た。軍事ジャーナリストとして、徹底した現地取材ぶ りと、叙述の明快さで知られる前田哲男氏の『侵略爆撃の思想』だ。私は二〇年前から、この本の読者の一人である。暫くお会いしなかった前田氏が、およそ半 年もの間取材のため中国の重慶に滞在されていたことは、帰国後直接伺った記憶がある。この本は私にとっては、間違いなく歴史書だが、同書は狭い意味での歴 史書でない。軍事の名を関すれば軍事史、軍事技術史、軍事思想史など、その多面性は群を抜いている。最初から意図されたのか、あまりにも大きな歴史事実を 描こうとすれば、そうならざるを得なかったかは定かでないが、前田氏ならではのスケールの大きな歴史書として私は読んだ。

 最初、朝日新聞社刊(一九八八年)として出版された時、私自身が歴史研究者として歩もうとしていた時だけに、再読して、その歴史事実への肉薄ぶりに圧倒 されたことをあらためて思い起こした。それはジャーナリストであれ歴史研究者であれ、共有しなければならない当然の姿勢としてあったからである。

 本書はその後社会思想社(一九九七年)から復刊され、今回、凱風社から三度復刊された。ただ、今回の復刊は単なる復刊に留まらない。新たな知見や資料を 含め、それまでの二倍の分量となっている。すでに二〇年近く読まれ続け、さらに深化を続けているという意味で、類い希なケースである。それだけ本書に内在 する課題の重さを物語っているように思われる。そのことは、現在、「重慶爆撃訴訟」が起こされていることからも知れるように、日本の過去を問う運動とし て、あるいは加害の事実とどう向き合うのか、という鋭い問いを私たちに発する機会としても、本書は読み込まれるべき作品のように思う。

 さて本書は、満州事変(一九三一年)の満州事変に始まる日中一五年戦争の最中、抗日首都となった重慶への日本陸海軍の航空隊による無差別爆撃の歴史事実 を、実に丁寧な現地取材と資料の読み込みによって、その全体像を余すところ無く活写したものだ。それは一九三八年五月から、およそ三年半続けられ、中国側 の資料ではその期間に六万人に及ぶ死傷者を記録したとされるものである。

 だが、重慶爆撃の事実は戦後活発となったアジア太平洋戦争史研究においても、数多の侵略戦争の一コマとして扱われ続けてきた。それは日本側だけでなく、 中国側にも事情は異なるとは言え、同様な扱いがなされてきた。その理由には、勿論戦後における中国側の資料所在の不充分さである。また、中国の抗日戦史か らすれば、この三年半は、「守勢」を余儀なくされた時期であって、「攻勢」期の勝利を戦後中国の建国過程で積極的に取り上げたこととの比較において、必ず しも優先的に取り上げられなかったこともあろう。つまり、中国にとって堅忍持久を強いられた歴史は、消極的にしか歴史叙述に挙げられてこなかったのであ る。

 しかし、問題は日本側である。戦後の歴史研究の活発化のなかで、日中一五年戦争を批判的に捉えようとする研究者にとっても、当問題に必ずしも充分な目配 りをしなかった理由は、一九四一年に入った段階で、アジア太平洋戦争の中心軸がアジアから太平洋地域にシフトし、同年の一二月八日の日米開戦によって、決 定づけられていったことと無縁ではない。そこではアジア戦争(対中国戦争)と太平洋戦争(=日米戦争)が切断され、別個の戦争だとする認識が深められて いったのだ。それ自体が、先の戦争の総括を誤らせていく。日本は対英米戦争、特にアメリカとの戦争に敗北したのだと。

 そのような総括が戦後日本の対米関係を規定し、過剰な依存構造を用意する背景となったのである。そこから本書の意義を挙げておけば、第一に、日本陸海軍 による重慶爆撃の歴史事実を丹念に叙述しながら、その戦略爆撃という戦争手段が、突然に日本陸海軍によって案出されたのではなく、第一次世界大戦を起点と する国家総力戦という新たな戦争形態の出現のなかで生み出された事実を明らかにしたことである。一つの戦争が次の戦争を用意するように、そこでは軍事技術 も戦争方法も爆撃の実態に内在する国家や地域を越えた他の戦争との連続性を読み解いていることである。

 前田氏は、同時に重慶爆撃の無差別性を浮き彫りにしながら、例えば、それがスペインにおけるフランコ・ファシズム政権によるゲルニカ爆撃から引き継がれ たものであることを証明してみせる。その爆撃の歴史が重慶の地で日本陸海軍によって再演され、さらにはそこで蓄積された戦略爆撃の成果の延長に、アジア太 平洋戦争を終焉させることになる広島・長崎への原爆投下に繋がっているという。以前から抗日戦争としての日中戦争、中国侵略としての日中戦争という二つの 対置する戦争ゆえに、それが国際戦争として発展していく過程で日英米戦争が派生したと説いてきた筆者は、ここでもう一つの延長説を教えられることになっ た。それは戦略爆撃という名の無差別爆撃の実施が、行為の主体こそ日本からアメリカに転移するものの、そこには近代戦争の究極的な本質として無差別性が必 然化する、という問題である。

 ゲルニカ爆撃も重慶爆撃も、そして、広島・長崎への原爆投下も、通常兵器と核兵器という軍事技術の著しい変容を見せながらも、前の戦争が現在の戦争を用 意し、さらには未来の戦争を準備するという戦争の本質をも。それは戦後の冷戦構造を得て、今日におけるアメリカ軍によるアフガン・イラク戦争における事実 上の無差別爆撃にも適合する。

 そこから、戦争の連鎖を断ち切るために、私たちには何が求められているのか、の問題が残される。前田氏は、詳細な重慶爆撃の歴史事実を、加害者である日 本の陸海軍航空隊と被害者である重慶市民の双方から丁寧な叙述を繰り返すなかで、「日本人の多くは、「戦略爆撃の思想」を、「みずからに被害をもたらした 「戦争の惨禍」として記憶するのみで、それが生まれ、拡大している過程で日本が果たした役割と中国民衆に対する加害の実態を、いまで知ろうとしていな い。」(本書、四四二頁)と鋭く指摘する。

 ここでもまた戦後日本人に課せられた加害と被害の二重性の課題に向かおうとしない点を、この膨大な歴史叙述を通して訴える。なにゆえ、広島・長崎の記憶 だけが強調され、重慶爆撃による殺戮の歴史が忘却され続けているのか、という問題である。もはや情報の欠落や資料の不足は理由にならない。問題は加害の歴 史をも正面から受け止め、これを歴史事実として歴史に書き残し、歴史認識を深めていく素材として共有化する作業なくして、歴史は私たちの現在と未来におけ る平和創造の糧とは成り得ない。本書には、そのことが、鋭くかつ深く書き込まれている。
 
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戦略爆撃の思想


「住 民ぐるみ攻撃」は日本発

『朝日新聞』(06年10月22日)

「読書」欄

評者:佐柄木俊郎(国際基督教大客員教授)

 日本軍による重慶爆撃は二年前のサッカー試合で、日本チームが市民の激越なブーイングを浴びたことで、忘却のかなたから多少とも甦(よみがえ)った。ピ カソで有名な「ゲルニカ」爆撃は 一日限りだが、翌年に始まる「重慶」は三年間で200回以上。実相解明に取り組んできた著者が、新資料を含めて旧著を大幅に書き改めた。

 都市を住民ぐるみ攻撃の対象とし、「戦政略爆撃」の名称を掲げた「重慶」を、著者は「広島の前の広島」と位置づける。その軍事思想がハンブルクやドレス デン、米軍による日本本土への無差別爆撃へと戦争を進化させ、ついには原爆投下へと連鎖する。「核を落とす思想」に、日本は無罪を申し立てることはできな い――がメッセージである。

 奥地へ後退する中国軍に手を焼き、抗日戦時首都に爆弾を降り注ぐことで、局面を打開しようとした作戦は、エドガー・スノーやセオドア・ホワイトらによっ て詳細に報じられ、「アンフェア日本」の印象を世界に広めて、米国の対日戦機運を盛り上げた。この作戦に、リベラルな対米不戦論者として知られた井上成美 が、海軍参謀長として深く関(かか)わっていたのも、歴史の皮肉というべきだろう。

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戦略爆撃の思想


戦 略爆撃の思想

『北海道新聞』(06年10月1日)

「ほん」

 東京大空襲に、 広島・長崎への 原爆投下。太平洋戦争で日本人は、間違いなく空からの無差別大量殺りくの被害者だった。では、その戦略爆撃という思想は、いつ、どこで生まれたのか。著者 は、膨大な資料をもとに歴史をたどり、考察を重ね、ついに、日中戦争で日本が中国の諸都市、特に重慶に対して執拗に三年間続けた無差別爆撃に端を発してい たことを突き止める。さらに現地の記録から、重慶市民の証言を集め、被害実態を立体的に浮かび上がらせる。著者は「日本人はこの事実を知ろうとしていな い」と指摘する。新資料を掲載。9・11米中枢同時テロにも言及した新訂版。

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重慶大爆撃が始まりだった

『サンデー毎日』(06年9月10日)

●サンデーらいぶらりぃ
「自由のために」その1

評者:斎藤貴男

 一九三七年の暮れに中国・南京 を陥落させた旧日本軍は、翌三八年二月、四川省に移されていた抗日首都・重慶への爆撃を開始した。以来、四三年八月までの 五年六カ月にわたって三百回ほども繰り返された執拗な絨毯(じゅうたん)爆撃は、中国側調査によれば、合計六万人以上もの人々を死傷させたという。

 最初の重慶爆撃より十カ月前、スペインはバスク地方のゲルニカにドイツ空軍が爆弾の雨を降らせている。これぞ非戦闘員を無差別かつ大量に殺戮(さつり く)して敵の戦意を喪失させる“戦略爆撃”のルーツだったが、旧日本軍による重慶への連続爆撃は、この“空からの皆殺しの思想”を桁(けた)外れにスケー ルアップするものだった。

 戦略爆撃はその後、第二次大戦期のハンブルクやドレスデン、そして東京、大阪などでの大空襲、さらには広島、長崎への原爆投下と続くことになる。大戦後 の朝鮮戦争やベトナム戦争、そして現在のイラク・ファルージャにおける残虐きわまりない光景も、そこに貫かれている基本的な思想は何も変わっていない。

 一九八八年に初版が出された歴史的名著の、本書は新訂版である。他にも日米安保体制の実態分析などの実績を積み重ねてきた軍事史専門家が、新たな研究成 果を取り入れ、日本人の圧倒的多数がそもそも最低限の知識さえ持ち合わせていない重慶大爆撃の史実を知り、見据えて、深く考えてみることの今日的意義を湛 (たた)えつつ、再び世に問うた。

 イタチの最後っ屁(ぺ)を放った首相の靖国参拝を、あるいは憲法“改正”を、戦争を語るなら、絶対に読んでおかなければならない。世界最悪の恥知らずに なってしまわないうちに。

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戦略爆撃の思想


「重慶」に光当てる労作

『東奥日報』(06年8月15日)

「近着図書」(15面)

 広島への原爆投下に代表される、一般市民を標的とした無差別都市爆撃。軍事的には「戦略爆撃」と呼ばれるが、その始まりは日本自らが行った重慶爆撃にあ る―と著者は指摘する。

 重慶爆撃は日中戦争さなかの一九三九年から三年以上、二百十八回にわたって行われた。中国側の集計によると、犠牲者は約一万二千人に上り、猛爆によって 「市街地は平らになった」ほどだという。その「戦略爆撃の思想」は、のちの弾道ミサイルによる「宇宙経由の攻撃」へと発展するが、重慶爆撃については戦史 の中で語られることは少ない。

 それはなぜか? @日本軍が結果的に重慶を占領できなかったので、爆撃の結果を把握できなかったA重慶は国民党の戦時首都だったので、戦後の共産党が積 極的に取り上げなかった―と著者は分析する。

 また、著者は重慶爆撃を始まりとする戦略爆撃によって、その後の戦争が「一方的で機械化された殺りくの世界」へと変わった―とする。そして、その流れは 現在のアフガニスタン、イラク戦争に続くという。

 オリジナル版は八八年に刊行されたが、改訂に当たって中国取材などで入手した最新資料などを網羅、六百ページを超える大作となった。謎の多かった重慶爆 撃に光を当てる労作だ。

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